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目次
書籍情報
なぜ働いていると本が読めなくなるのか
発刊 2024年4月30日
ISBN 978-4-08-721312-6
総ページ数 288p
三宅香帆
文芸評論家。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。
著作多数。
集英社
- まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
- 気づけば本を読んでいなかった社会人1年目
- 本を読む時間はあるのに、スマホを見てしまう
- 本を読む余裕のない会社って、おかしくないですか?
- AI時代の、人間らしい働き方
- あなたの「文化」は、「労働」に搾取されている
- 労働と文化を両立できる社会のために
- 序章 労働と読書は両立しない?
- 労働と読書は両立しない?
- 速読、情報処理スキル、読書術
- 社会の格差と読書意欲
- 日本人はいつ本を読んでいたのか
- 第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代
- 自分の好きな本を読めるようになった時代
- 日本の長時間労働の幕開け
- 句読点と黙読によって本が読みやすくなった
- 「自分のニーズに合った読書をする」図書館文化
- 日本初の男性向け自己啓発書『西国立志編』
- 「仰げば尊し」と立身出世
- 明治時代のミリオンセラー
- ”Self-Help”と自助努力の精神
- 修養ブームの誕生と階級格差
- 「ホモソーシャル」な「自己啓発書」の誕生
- ビジネス雑誌の流行
- 自己啓発書をめぐる日本の階級格差
- 自分の好きな本を読めるようになった時代
- 第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代
- 体制時代の社会不安と宗教・内省ブーム
- 効率重視の教養は、居間にはじまったことなのか?
- 読書人口の増加
- 日露戦争後の社会不安
- スピリチュアルが、社会主義が、売れる!
- 辛いサラリーマンの誕生
- 「サラリーマン」の登場
- 労働が辛いサラリーマン像、誕生
- 疲れたサラリーマン諸君へ、『痴人の愛』
- 教養の誕生と修養との分離
- 田舎の独学ブーム
- 「社員教育」の元祖としての「修養」
- エリート学生の間に広まる「教育主義」
- 総合雑誌が担ったもの
- 「教養」と「労働」の距離
- 体制時代の社会不安と宗教・内省ブーム
- 第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中
- 日本で最初の「積読」本
- 円本の成功と驚異の初版部数
- 改造社の『現代日本文学全集』の大博打
- 円本ブーム成功の理由①「書斎」文化のインテリアとしての機能
- 円本ブーム成功の理由②サラリーマンの月給に適した「月額払い」メディア
- 円本ブーム成功の理由③新聞広告戦略、大当たり
- 円本は都市部以外でも読まれていた
- 円本=日本で最初の「積読」セット?
- 農村部でも読まれていた円本
- 教養アンチテーゼ・大衆小説
- 「受動的な娯楽」に読書は入るか?
- 戦前サラリーマンはいつ本を読んでいたのか?
- 忙殺されるサラリーマンたち
- もはや本を読むどころではない戦時中
- 日本で最初の「積読」本
- 第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代
- 1950年代の「教養」をめぐる階級差
- ギャンブルブームの戦後サラリーマン
- 「教養」を求める勤労青年
- 紙の高騰は「全集」と「文庫」を普及させた
- サラリーマン小説の流行
- 源氏鶏太のエンタメサラリーマン小説
- 読書術の刊行が示す「読書危機」
- 日本史上最も労働時間の長いサラリーマンたち
- ビジネスマン向けハウツー本の興隆
- 「役に立つ」新書の登場
- 「本」を階級から解放する
- 勉強法がベストセラーになる時代
- 1950年代の「教養」をめぐる階級差
- 第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代
- 司馬遼太郎はなぜ70年代のサラリーマンに読まれたのか?
- なぜみんな『坂の上の雲』を買ったのだろう?
- 司馬作品の魅力の源泉
- テレセラーの誕生と週休1日制のサラリーマン
- テレビによって売れる本
- 土曜8時のテレビと週休1日制
- 「テレビ売れ」に怒る作家、「TilTok売れ」に怒る書評家
- 70年代に読む司馬作品のノスタルジー
- 通勤電車と文庫本は相性が良い
- 70年代と企業文化の定着
- 企業の「自己啓発」重視文化の誕生
- 「国家」と「会社」の相似性
- 社会不安の時代に読む『竜馬がゆく』
- 『坂の上の雲』は懐メロだった?
- 司馬遼太郎はなぜ70年代のサラリーマンに読まれたのか?
- 第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代
- バブル経済と出版バブル
- 「嫁さんになれよ」だなんんて言えない時代になっても
- ミリオンセラーと長時間労働サラリーマン
- 「コミュ力」時代の到来
- サラリーマンに読まれた「BIG tomorrow」
- 70年代の「教養」と80年代の「コミュ力」
- 「僕」と「私」の物語はなぜ売れた?
- 本をみんな読んでいた?
- カルチャーセンターをめぐる階級の問題
- カルチャーセンターに通う主婦・OLへの蔑視
- 「大学ではない場の学び」
- 女性作家の興隆と階級の問題
- バブル経済と出版バブル
- 第七章 行動と経済の時代への転換点―1990年代
- さくらももこと心理テスト
- 90年代は「そういうふうにできている」
- さくらももこと心理テストの時代
- 自己啓発者の誕生と新自由主義の萌芽
- 『脳内革命』と<行動>重視の自己啓発書
- <内面>の時代から<行動>の時代へ
- 労働環境の変化と新自由主義の萌芽
- <政治の時代>から<経済の時代>へ
- 読書とはノイズである
- 読書離れと自己啓発書
- 自己啓発書はノイズを除去する
- 読書は、労働のノイズになる
- ノイズのない「パズドラ」、ノイズだらけの読書
- さくらももこと心理テスト
- 第八章 仕事がアイデンティティになる社会―2000年代
- 労働で「自己実現」を果たす時代
- 自己実現の時代
- ゆとり教育と『13歳のハローワーク』
- 労働者の実存が労働によって埋め合わされる
- 余暇を楽しむ時間もお金もない
- 本は読めなくても、インターネットはできるのはなぜか?
- IT革命と読書時間の減少
- 『電車男』とは何だったのか
- インターネットの情報の「転覆性」
- 本は読めなくても、インターネットはできるのはなぜか?
- 情報も自己啓発書も、階級を無効化する
- 本が読めない社会なんておかしい
- 過去はノイズである
- 情報とは、ノイズの除去された知識である
- 読書は楽しまれることができるか?
- 労働で「自己実現」を果たす時代
- 第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代
- 働き方改革と労働小説
- 「多動力」の時代に
- 新自由主義とは何か
- 働き改革と時代の変わり目
- ノマド、副業、個で生きる
- 労働小説の勃興
- 「娯楽」が「情報」になる日
- SNSと読書量
- 本を早送りで読む人たち?
- 自分と関係がない情報、という「ノイズ」
- 他者の文脈を知る
- 『推し、燃ゆ』とシリアスレジャー
- 自分以外の文脈を配置する
- 仕事以外の文脈を思い出す
- 半身で働く
- 「働いていても本が読める」社会
- 働き方改革と労働小説
- 最終章 「全身全霊」をやめませんか
- 日本の労働と読書史
- 日本の労働時間はなぜ長い?
- 強制されていないのに、自分で自分を搾取する「疲労社会」
- 燃え尽き症候群は、かっこいいですか?
- トータル・ワーク社会
- 「全身」を求められる私たち
- 「全身全霊」を褒めるのを、やめませんか
- 「半身社会」こそが新時代である
- 半身社会を生きる
- あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします
紹介文
仕事に追われる現代人にとっての「読書時間確保」のヒントが詰まった一冊です。
三宅香帆さんは、日々の忙しさに追われながらも読書を楽しむ方法について、ユーモアたっぷりに語っています。彼女自身もフルタイムで働きながら、数多くの本を読破してきた実績があります。その経験から得た知識やテクニックを、本書では余すところなく披露してくれます。
本書の魅力ポイント
- 共感できるエピソード
働く人なら誰しもが感じる「時間がない」「疲れて本を開けない」といった悩み。三宅さんは、自身の体験を通じてそのような悩みに寄り添い、共感できるエピソードを豊富に紹介しています。 - 具体的なアドバイス
「どうすれば読書時間を確保できるのか?」という問いに対し、実践的なアドバイスが満載です。例えば、通勤時間の有効活用や、スマートフォンを読書ツールとして活用する方法など、すぐにでも試せるテクニックが盛りだくさんです。 - 読書の楽しさを再発見
忙しい毎日の中で、改めて読書の楽しさを再発見できる内容になっています。読書がもたらす心の安らぎや、新しい知識との出会いの喜びを再認識させてくれるでしょう。
おすすめの読者層
本書は、働きながらも読書を楽しみたいと思っているすべての人におすすめです。特に、日常生活の中で読書の時間をどう確保すればいいのか悩んでいる方には、きっと役立つアドバイスが見つかるはずです。
まとめ
『なぜ働いていると本がよめなくなるのか』は、働く現代人にとっての読書ガイドとして、非常に有用な一冊です。三宅香帆さんの温かくユーモアあふれる筆致で、読書時間の確保術を楽しく学べます。この本を手に取れば、あなたの読書生活が一段と豊かになること間違いありません。忙しい日々に追われている方こそ、ぜひ一度読んでみてください。
試し読み
まえがき
社会人になってから、週に5日、9時半から20時過ぎまでハードに働いていました。最初のうちは仕事にやりがいを感じ、充実していると思っていたのです。
しかし、しばらくして「本を買うために就職したのに、社会人1年目にして全然本を読んでいない…」と気づくようになりました。家に帰ると疲れてしまい、夜寝る前にはついSNSを眺めてしまいます。
そんな日々を過ごしているうちに、結局、本を読む時間が取れないことに嫌気がさして、私は3年半後に会社を辞めました。
今は、好きな本を好きなっだけ借りられる時代
明治時代、本格的に戦争経済に突入していない時期の労働時間を見てみましょう。1日平均残業時間は2時間、染織工場や機械工具工業の男性では3時間、化学工業では最長12時間もありました。昼夜連続の交替勤務という、今では考えられない勤務体系です。このような働き方では、読書をする時間もほとんどありませんでした。また、この時代には個人が本を読める環境も整っていませんでした。本は非常に高価であり、家族で朗読するのが一般的でした。
そんな時代に、活版印刷の技術が発展し、大量に書籍が印刷できるようになりました。これにより、知識層が個人で読書を楽しめるようになり、「黙読」の誕生です。また、本を普及させるために句読点を使用した書籍が明治10年以降増加し、読みやすくなりました。図書館や古書店も登場し、本が手に取りやすい環境が整備されつつありました。好きな本を好きなだけ借りられる図書館の出現です。明治から大正にかけて、階級を問わず読書の習慣が広まっていきました。
この時代、自分の読みたい本を「選んで」読むことは非常に新鮮な体験でした。このことは夏目漱石の『三四郎』にも描かれています。また、日露戦争後の地方改良運動によって、日本各地に図書館が増えました。大正時代に入り、全国の図書館の数は10年間で4倍にもなりました。
辛いサラリーマン
都会の企業で働くことが一般的になり始めた時代に、「サラリーマン」という言葉が生まれました。これは富裕層でもなく労働者階級でもない、新しい中間層を指す言葉です。この言葉は、大正時代から昭和初期にかけて浸透していきました。
日清戦争や日露戦争後、多くの株式会社が設立され、企業は教育を受けたエリートを必要とするようになりました。高等教育機関の卒業生たちが民間企業に勤め始め、この状況が年功賃金制度や新卒一括採用など、日本のサラリーマン雇用慣習を根付かせる一因となりました。
当時、労働者階級も次第に読書を楽しむようになり、特に大衆向けの雑誌が広く読まれていました。これらの雑誌には、アメリカの自己啓発思想に基づいた「修養」という自己研鑽を促すジャンルが掲載されていました。個人が自己を磨くべきだとする新しい立身出世の思想潮流で、この思想は大正時代には「教養」に変わり、サラリーマンのアイデンティティ形成に寄与しました。
大正時代初期の辛いサラリーマン像
●毎日弁当を持って出勤する、安月給の労働階級
●見栄のために食費を削り、服飾費や交際費にお金をかけている
●常に解雇の恐怖に怯えている
インテリアのための本
1923年(大正12年)、関東大震災が日本を襲い、火災によって多くの書籍が燃えてしまいました。残った本は高価なものとなり、本が売れないという出版界にとって大きな打撃となったのです。しかし、「円本」という革命的な売り方が登場し、再び日本に読書ブームをもたらすことに成功しました。
「円本」という言葉の由来は、1冊1円という価格にあります。ただし、これは完全予約制で、全巻購入が条件でした。それでも当時としては破格の金額であり、通常の本の半額以下の値段です。そのため、50万人以上の予約が集まりました。
円本が安さ以外にもこんな理由があります。
- インテリアとして円本を飾る
学歴エリートや新中間層のサラリーマンが、プライドを誇示するために、全巻揃った本をインテリアとして飾りました。 - サラリーマンの安定した給料
書籍に無限のお金をつぎ込めるわけではありません。そんなサラリーマンには、月額払い制の円本は相性が良かったようです。サブスクのような料金制度が昭和の戦前に既に存在していました。 - 大量の広告
新聞、雑誌、ビラ、公共機関の看板など、ありとあらゆるものに宣伝費が使われています。円本の種類が増えるにつれて広告合戦が加速し、競争が激化したために収支がマイナスになることもあったようです。
新聞や雑誌には多数の小説が連載されており、庶民の休憩時間に読まれていました。これが大衆小説のヒットを生み出し、日中戦争初期まではベストセラーも多くありました。例えば、パール・バックの『大地』、マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』、エーヴ・キュリーの『キュリー夫人伝』などが有名です。
しかし、太平洋戦争時になると、英語の使用が禁止され、海外の物語は小説に限らず映画なども禁止されています。戦時中は、本を読む人はいませんでした。