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目次
書籍情報
人はいつ「死体」になるのか
生と死の社会学
発刊 2023年10月31日
ISBN 978-4-562-07351-1
総ページ数 291p
ジョン・トロイヤー
葬儀業を営む家に生まれ、現在はバース大学社会・政策科学部上級講師、死及び社会研究センター長として、死について多角的に研究している。
原書房
- 謝辞
- まえがき
- 妹の死を見つめる
- 序章 人間の死体
- 湖の町/死の町
- 第一章 エンバーミングされた幻影
- #二一.ジュリーに言う
- 第二章 ハッピー・デス・ムーヴメント
- もっと速く飛べ
- 第三章 HIV/AIDSの死体
- #一九.ジュリーの葬儀
- 第四章 プラスティネーションの分類法
- 10分/10日
- 第五章 死、死にゆく過程、身体部位のグローバルな取引
- 搭乗口一一番
- 第六章 生政治、死政治、死体政治
- 空港
- 第七章 死を特許化する
- 興は僕の誕生日
- 結びに 死の計画を立てる
- 最後のページ
- 訳者あとがき
- 参考文献
- 原注
はじめに
私の生活に住み着いた死と死にゆく過程と死体の一団に対する、いろいろなものが入り混じった応答です。
当初は学術的な書籍にする予定だったが、執筆するうち、読者に死や死にゆく過程や死体についてこれまでとはまったく別の仕方で考えてもらう本になりました。
エンバーミング
1865年に南北戦争が終わったとき、エンバーマーは、一般大衆に差し出すべき新しい消費者向け商品を手に出していました。機械を使って保存したのです。
エンバーミングが可能にしたのは、埋葬までの時間を長くして、実物の死体を人前においておくことでした。死後の写真をまるで生きているかのように模写して飾る技術から、実物を使った葬儀ができるようになったのです。
19世紀のエンバーミング処理は、真空ポンプを使って死体の体液を取り除き、防腐用の科学溶液を注入するものです。時がたっても変化しない死体をつくり出す効果は、当時、相当に「素晴らし」かったと評価されています。
この葬儀業における転換が、今日もつづく死体の経験を規格化しているのです。どんな死の姿が普通なのか、大衆の理解を変えてしまいました。
死体経済
医療社会学者キャサリン・ウォルドビーと英文学者ロバート・ミッチェルは、死体にテクノロジーを駆使することで、死体に価値が生じて、死体経済をつくるだすと言ったことを述べています。
死体から使用可能な死後の生物材料を剥ぎ取ることを中心に構築されたテクノロジーでは、生きている体には使えません。
死体が解剖学的製品に変わり、どのように金を流通させるのかが明らかになった事件が大ニュースになりました。
20世紀には、ばらばらにした死体がもつ死体価値を得るための新しい機会を見い出していたのです。
特許化
「人間に移植するための臓器をつくるもとになるかもしれない」そう思ったニューマン博士は、キメラ技術を特許化しようと出願していた。
問題のキメラは合衆国憲法で保障されているプライバシーの権利を侵害する恐れがあると示唆し、人間と動物のハイブリット技術が発明になることを防ぎました。
死を変化させ死体を変容させる無数の人間のテクノロジーに対する根本的な批判はあるものです。
死を制御する発明について特許を得る場合は、人間にどんなふうに役立つかと、「寿命」の概念が現実として重要でなくなる度合いに達していることが必要です。
死体の保存テクノロジーは、どんなふうに機能しうるかを示す重要な事柄です。死に介入し死を制御したいと望む気持ちを生じさせました。
感想
サイト管理人
半分も理解できませんでした。死政治だの、死経済なのは、死なない人がいないのだからビジネスにできれば有益でしょうし、倫理観などを問題にする人もいると思います。
とりあえず、エンバーミング処理はしてもらはないと、お通夜でご遺体を家に一時的に寝かしておかなければならない状況のなか、腐敗臭をするのは勘弁したいものです。
世の中には、近所の葬式奉行という輩がいるのを、ご存じかと思います。90歳以上で知り合いがいないといったような場合をのぞき、なかなか直葬というのが難しいので、どうでもいい家族葬というものを執り行うのが普通なのかもしれません。
早いところ、実利思考が浸透して葬式をせずに、書類に名前を書きまくるようなことをしなくて済む、死後の処理というものを一般的で大多数という常識に切り替わってほしいです。
とりあえず、信心深いものに、お金と時間がかかりすぎな気もしますし、それを経済と掛け合わされてもうまく呑み込めない自分がいました。
死に介入する技術が、倫理を超えて必要とされ、経済に影響するかもしれないということは学べたような気がします。