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目次
書籍情報
世界の転換期を知る 11章
発刊 2024年4月10日
ISBN 978-4-634-44512-3
総ページ数 251p
木村靖二
ドイツ近現代史専攻。東京大学名誉教授。
岸本美緒
中国明清史専攻。お茶の水女子大学名誉教授。
小松久男
中央アジア近現代史。東京大学名誉教授。
山川出版社
- はじめに
- 第1章 紀元前220年 帝国と世界史の誕生
- 第2章 378年 失われた古代帝国の秩序
- 第3章 750年 普遍世界の鼎立
- 第4章 1187年 巨大信仰圏の出現
- 第5章 1348年 気候不順と生存危機
- 第6章 1571年 銀の大流通と国家統合
- 第7章 1683年 近世世界の変容
- 第8章 1789年 自由を求める時代
- 第9章 1861年 改革と試練の時代
- 第10章 1905年 革命のうねりと連帯の夢
- 第11章 1919年 現代への模索
- 座談会 歴史の転換期を考える
- おわりに
書籍紹介
歴史は単なる過去の記録ではありません。それは、現在と未来を理解するための貴重な手がかりです。山川出版社の『世界の転換期を知る11章』は、まさにそのような視点から歴史を捉え、読者に新たな知見を提供します。この書籍は、古代から現代までの世界史の中で特に重要な転換点を11の章にまとめ、各時代の出来事がどのようにして現在の世界を形成したのかを解説しています。
魅力的な11の章構成
本書の最大の特徴は、その章構成にあります。各章はそれぞれ異なる時代と地域を扱い、その時代特有の出来事や人物、そしてその影響を深く掘り下げます。例えば、ローマ帝国の興隆と衰退、産業革命、冷戦の終結など、各章が一つの完結した物語として読めるため、歴史に詳しくない読者でも興味を持って読み進めることができます。
詳細な分析と分かりやすい解説
本書は、歴史の専門家による詳細な分析が特徴です。各章では、当時の社会背景や経済状況、政治的動向などを多角的に捉え、転換期の重要性を浮き彫りにしています。また、専門用語や複雑な概念も分かりやすく解説されており、初心者から歴史愛好者まで幅広い層にとって理解しやすい内容となっています。
教育的価値の高い一冊
『世界の転換期を知る11章』は、教育的価値も非常に高いです。学校の授業や受験勉強に役立つのはもちろんのこと、歴史に興味を持つきっかけとしても最適です。さらに、各章末には参考文献やさらに深く学びたい読者のための推薦図書が紹介されており、学びを深める手助けとなります。
新たな視点を提供する書籍
読者は世界史を新たな視点で捉えることができるでしょう。過去の出来事がどのようにして現在の世界を形作ったのか、そして未来にどのような影響を与えるのか。『世界の転換期を知る11章』は、そんな疑問に答え、歴史のダイナミズムを感じさせてくれる一冊です。
まとめ
『世界の転換期を知る11章』は、歴史の転換点を通じて世界を理解するための素晴らしいガイドです。詳細な分析と分かりやすい解説、そして教育的価値の高い内容は、幅広い読者層に支持されることでしょう。
試し読み
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
中東におけるペスト禍
1348年当時、中東地域を中心に、海路や陸路での交易、積荷に紛れるネズミなどがどのように拡散していったかを分析した記録が残されています。
モンゴル軍の活動、アジアとヨーロッパを結ぶジェノヴァの交易網の広がり、マムルーク朝下のエジプトでのマムルーク(軍人奴隷)の運搬経路などが詳しく調査されています。環地中海世界のイスラム圏では、マムルーク朝の医師とアンダルシアの医師が意見交換を行うなど、知的基盤社会の成り立ちが見えてきます。
また、この時期は長期的な寒冷化、湿潤化、地震、津波、乾燥化、洪水、河川の氾濫といった災害に人々が苦しめられていました。特に水害は、ティグリス川、ユーフラテス川、カアバ聖殿の浸水など、西アジア全域で著しい被害をもたらしました。
ポイントは、災害と都市社会の連動です。大規模な災害が発生して死者が増えると、都市では労働人口が減少し、熟練工が不足します。その結果、周辺の村落から難民が都市に押し寄せます。ひっ迫した状況で食糧供給などの不正が役人により行われると、都市で暴動がエスカレートしていきました。
人々は災害や生存への疲労で体力を消耗し、聖地メディナへの参詣が増え、高い予言能力を持つ「生ける聖者」への崇敬が拡大しました。これは近代的な宗教行為とされてきましたが、地域住民が激減する中で連帯を深める地域行事であり、社会における修復的な行為とも考えられます。
「陸の帝国」と近世世界
オスマン、サファヴィー、ムガルの三帝国において、16世紀後半の世界貿易の活発化は、ヨーロッパや東アジアで見られたような大きな変動をもたらしませんでした。
これらの帝国では、君主や官僚個人が海上貿易に投資することはありましたが、他者を排除して独占的に海上貿易を管理・運営し、それを財政基盤とする姿勢はほとんど見られませんでした。この時期の帝国は、位階に応じて貴族に給与地を与えることで騎兵軍団を維持させるマンサブ制度の制定など、国家の統合を図っていました。
また、民間貿易に対する政府の柔軟な姿勢も見られました。三帝国は、領域内の貿易商人に対して制限を加えることが少なく、対外貿易と国家統制の間で摩擦が起きることはほとんどありませんでした。
さらに、宗教の弾圧を行わず、多様な文化を包摂する姿勢をとっていました。貿易の利益や火器などの技術導入、国家機構の整備など、他国の近世と共通する現象も見られましたが、16世紀の銀の大流通の衝撃は顕著には現れていませんでした。三帝国の世界貿易は地域によってそれぞれ異なる対応が行われており、世界各地を同じように変容させるものではありませんでした。
自由を求める時代
18世紀になると、アメリカ大陸を結ぶ世界貿易網に変化が見られるようになります。
17世紀までの貿易品は、生糸や砂糖、胡椒、ナツメグ、クローブといった高級香辛料が中心でした。しかし、18世紀には、綿織物や銅、錫などが主要商品として台頭し、以前から取引されていた商品も貿易量が増加しました。
世界貿易が構造化し、参入者が多様化していく背景もありました。大西洋の三角貿易は18世紀に安定した構造となります。
アフリカ大陸からは黒人奴隷がアメリカ大陸に送られました。黒人奴隷を酷使するプランテーション農園では、砂糖やコーヒー豆、タバコ、綿花などが栽培され、それらがヨーロッパに輸出されました。
ヨーロッパからはアフリカへ武器などの道具が輸出されました。また、インドからヨーロッパに輸入された綿織物も再輸出されていました。イギリスが産業革命によって自国で生産できるようになるまでは、織物を三角貿易で調達していたのです。
対馬の警鐘
1861年、対馬から警鐘が発せられました。2月の初め、ロシアの軍艦ポサドニック号が修理を理由に対馬に来航し、半年にわたって居座りました。その際、沿岸部に根拠地を築こうとする動きを見せ、対馬藩や江戸幕府に衝撃を与えました。
環日本海域では英露の緊張関係が高まっており、ロシアは対馬に攻めてくるイギリスに対抗する日本を支援することで、何らかの利益を得られると考えていました。
クリミア戦争後のパリ条約により黒海の軍事利用を禁止されたロシア海軍は、日本海に新たな拠点を設けたいという意図を持っていました。
イギリス公使のオールコックは、インド・中国艦隊司令長官のホープ少将に相談し、日本の幕府に助言を送りました。幕府はロシア外務大臣宛てに抗議文を作成し、イギリス外務省を経由してロシア政府に送りました。これにより問題が国際化し、ロシア海軍の脅威を抑えることができました。
ポサドニック号事件は、日露戦争の過程を考える上でも重要であり、幕末の日本にとっては独力で対外問題を解決できないことを自覚させる衝撃的な事件でした。