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目次
書籍情報
The Power Law(ザ・パワー・ロー)
ベンチャーキャピタルが変える世界 上
発刊 2023年9月22日
ISBN 978-4-296-11508-2
総ページ数 389p
セバスチャン・マラビー
米外交問題評議会で国際経済担当のポール・A・ボルカー・シニア・フェロー。
日経BP
- 日本語版へのまえがき
- 序章
- 合理的ではない人々
- 第1章 Arthur Rock Liberation Capital
- アーサー・ロックと才能を解き放つための資本
- 第2章 Finace Without Finace
- ファイナンス理論に縛られないファイナンス
- 第3章 Sequoia, Kleiner Perlins, and Activist Capital
- セコイア、クライナー・パーキンス、そしてアクティビストの資本
- 第4章 The Whispering of Apple
- アップルをめぐるひそひそ話
- 第5章 Cisco, 3Com, and the Valley Ascendant
- シスコ、スリーコム、そして勢いづくシリコンバレー
- 第6章 Planners and Improvisers
- 「用意周到」派と「臨機応変」派
- 第7章 Benchmark, SoftBank, and “Everyone Needs $100 Million”
- ベンチマーク、ソフトバンク、そして「誰もが1億ドルを必要としている」
- 第8章 money for Google, Kind of for Nothing
- グーグルへの出資、これといった条件もなしに
- 原注
インテルの持ち株制度
ノイスとムーアがインテルと名付けた新会社の資金を調達するため、アーサー・ロックは投資家に特別な権利を付与するモデルを逆転させたビジネスプランを考案しました。インテルでは起業家のほうを優遇したのです。全従業員をストックオプションの付与対象者にしました。
ロックが最初にリストアップした32の企業・個人のうち、投資を断ったのは1人だけです。※フェアチャイルド社の反逆者8人のうち、6人も出資しています。
出資を望んでいたが、招待されなかった人からは、不満のあまり騒ぎ立てられましたが、起業家が資本家の中から選択するようになった資本市場の転換は実現したのです。
インテルの従業員持ち株制度の創設はロックが、誰もが株式を手にするべきだと提案したものです。1968年8月のある書簡の中で、投資家と従業員の利害を調和させる方法について考えを説明しています。インテルは短期間しか同社に所属しない従業員への株式の付与は避け、長期的に働き続ける姿勢を示している全員に提供するべきという考えです。「会社に何も貢献せずに、短期間で退職して、大金持ちになっている事例が多すぎる」と、彼は賢明な観察を示しています。
ロックの思慮深い助言なくして、インテルの従業員持ち株制度は持続できません。シリコンバレーの標準となることもなかったでしょう。
※フェアチャイルド社の反逆者8人
ショックレー半導体研究所でシリコントランジスタの開発を放棄され、我慢できなくなった8人(ジャン・ヘルニ、ジュリウス・ブランク、ヴィクター・グリニッチ、ユージーン・クレイナー、ゴードン・ムーア、シェルドン・ロバーツ、ジェイ・ラスト、ロバート・ノイス)が、フェアチャイルドを創業して世界初の商用集積回路を生み出しました。
アップル投資資金の回収
アップルの資金調達はネットワークが強力になりえることを示していました。この明白な商機にアップルに投資するチャンスを逃すというジレンマがあったのです。肩をすくめながらの投資のため、ロックのアップルへの投資規模は大きくはありません。
アップルは資本を集め、人脈を広げて、シリコンバレーのネットワークが持つ力を見せつけました。ロックは投資前に躊躇はしたが、アップルを助けるための人脈を贈ります。フェアチャイルドから経験豊富なジーン・カーターが引き抜かれたのです。HPの製造部門のトップも採用しました。
ロックはアップルでも取締役に就任し、会長と兼任しました。シリコンバレーの重鎮となり、アップルへの投資は彼にとっての最後のホームランとなったのです。
レーガンが大統領に就任して、税率が20%に低下しました。キャピタルゲインへの課税率が下がり、プルーデント・マン・ルールも変更されると、ベンチャー投資家にとって有利に働きます。ジェネンテックやアップルをめぐるエグジットで、人もうらやむほどの利益が上がったことに刺激されて、1970年代後半にはベンチャー投資ファンドに大量の資金が流入しました。
ヤフー
ヤフーには抗しがたい魅力がありました。ウェブサイトには何百万人もの利用者が続々と集まっていて、インターネット版のTVガイド誌ともいえる新しい媒体となって、ここから消費者を欲しい情報へと導くサービスが展開されています。問題はこのインターネットの案内役がいかにしてお金を稼ぐかにあったのです。
ベンチャーキャピタリストから資金を調達するが、顧客には無償で製品を提供するというヤフーの意図の先例を思い浮かべることが、モーリッツにはできませんでした。しかし、彼の出身であるメディア産業では、既に大きくなっている企業がヤフーのやり方を実践していたのです。ラジオやテレビも無料でニュースを放送し、広告収入を得ています。
ネットスケープやUUNETなどの大当たり銘柄は、大学や年金の基金に注目され、多くの塚的な資本が投じられました。95年には100億ドルもの資金が集まり、5年前の30億ドル急増しています。ヤフーの資金調達は、実現が決まったも同然です。
このタイミングで資金を出す人物が現れました。背が低く、ほっそりとした起業家の孫正義です。ソフトバンクという名前の会社を興し、ソフトウェアの流通事業で大ヒットを飛ばして、日本のビル・ゲイツとの評判を得ています。
グーグルへの出資
セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジは自分たちが立ち上げたばかりの会社をグーグルと名付けました。2人は自分たちのテクノロジーが他を圧倒すると確信していたのです。
やがてベクトルシャイムがシルバーのポルシェで会社に到着しました。ベクトルシャイムはベンチャーキャピタリストとではありません。しかし、2つの会社を興した経験があり、お金にも余裕がありました。事業の進歩状況について尋ね、いくら必要なのかと質問し、9万ドルの小切手をきりました。
1996年になって、ベンチャーキャピタリストのアーサー・パターソンから資金調達し、誰がどれだけ所有したかを正式決定します。過去の成功よりも多くの利益をベクトルシャイムは得ました。
ベクトルシャイムはブリンとペイジによる検索エンジンのデモを見て、ベクトルシャイムはソフトウェアには競争力があると理解したのです。加えて2人のことを、どちらかと言えば好感していました。
ベクトルシャイムはポルシェに駆け寄り、10ドルの小切手を「グーグル株式会社」宛に書いてブリンとペイジにわたしました。そして、ポルシェに乗って姿を消します。グーグルの株式をどれだけ購入したつもりなのかを言うのを忘れるほど、興奮していたようです。
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