涙にも国籍はあるのでしょうか/著者:三浦英之

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※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。

書籍情報

タイトル

涙にも国籍はあるのでしょうか

津波で亡くなった外国人をたどって

発刊 2024年2月20日

ISBN 978-4-10-355561-2

総ページ数 189p

著者

三浦英之

朝日新聞記者、ルポライター。
小学館ノンフィクション大賞など、数多くの賞を受賞している。

出版

新潮社

もくじ

  • 序章 ある随行員の手記
  • 第一章 涙にも国籍はあるのでしょうか
  • 第二章 職人たちが中国人青年に伝えていること
  • 第三章 彼女はいつも自転車に乗っていた
  • 第四章 イスラムの国から来た青年
  • 第五章 美しいひと
  • 第六章 三人目の祖母、三つ目の国
  • 第七章 それでも神父は教会に戻った
  • 第八章 家族の夢が叶った日
  • 第九章 本棚のピエタ

涙にも国籍はあるのでしょうか

 津波で亡くなった外国人を取材できないか、そう思い立ったのは2022年の夏です。

 そこで、盛岡市内の焼鳥屋で行った取材で仲良くなったモンゴル人青年と酒を飲み交わしました。

 「あの大地震で何んの外国人がなくなったのか、正確な数をつかめていないと聞いたことがあるのですが」

 経済力が落ちてきてるとはいえ、日本はまだ先進国であり、そんなことはないだろうと思っていました。けれど、スマホで厚生労働省のデータをみてみると、外国人の犠牲者数が次のように掲載されていたのです。

  • 韓国・朝鮮
    • 15人
  • 中国
    • 16人
  • フィリピン
    • 4人
  • 米国
    • 1人
  • その他の国
    • 5人

 この表を見たとき、居心地の悪さを覚えました。

イスラムの国から来た青年

 飲食店を経営するネパール人女性やテーブル席で食事をしていた数組の南アジアの青年たちにも、津波で犠牲になったパキスタン人のことを訪ねてみたが、いずれも「聞いたことがない」「何も知らない」という回答でした。

 翌日もインド・ネパール料理店を数件回ったが、誰も津波で亡くなったパキスタン人の存在を知らないどころか、東日本大震災についての興味もあまり持ち合わせてはいないようです。

 聞き込みをしていると、モスクの人から電話がありました。「11年前に被災してなくなったのは私の友人だ」というサマドさんが現れたのです。

 1980年代、日本から流れ込むソニー、カシオ、パイオニアの商品に憧れ、日本行きを夢見るようになり、パキスタンのテレビ局と契約し、リポーターの仕事を請け負うようになったいいます。

 震災から約10日後、福島県沿岸部でパキスタン人と見られる遺体が見つかったと連絡が入ったそうです。

 坂東市のモスクで「死を悼む会」が催され、100人以上のパキスタン人が異国の地で別けれをつげました。その様子を撮影するときに初めて、サマドは「報道」というものは人に見せたいものを見せる「娯楽」ではないことに気づいたようです。

本棚のピエタ

 「俺の人生は終わっているんです」

 そういって、遠藤は話し始めます。

 2011年3月11日。エンドは請け負っていた石巻市内の水産加工会社の改修工事を終えて、帰宅途中に揺れに襲われました。
 大急ぎで海から100メートルも離れていない自宅にいき、祖母と長女の花(13歳)が平屋にいるのを確認したのです。
 彼は近くの戸波小学校に長男・侃太(10歳)と、次女・奏(8歳)を迎えにいきました。自宅に子ども連れ帰りました。ついでに親戚の家を見て回ろうとトラックで向かった先の三差路で異変が起きます。水位が急激に増えていったのです。
 トラックのドアは開かなくなり、開いているドアが閉まらないように右足を挟んで津波の中へ飛び込みました。流れてきた屋根にしがみつき、一命をとりとめたのです。
 震災の翌日、早朝、遠藤が木の枝を代わりにして自宅へ向かうと、家は跡形もなくなっていました。自宅の近くで力なく泣いていた高齢者は、よくみると母だったのです。
 「奏ちゃん、冷たいんだ、冷たいんだ」と8歳の奏を胸に抱いています。
いつも「ほっぺにチュー」をせがんだ愛娘は氷のように冷たく、頭髪からは無数の砂が出てきたのです。

 3人の子ども失った遠藤にわずかな光が差し込んだのは、震災の年の初夏です。朝日新聞の前石巻支局長・高成田享からの電話でした。

 「石巻市で外国語指導助手として働いていた24歳のアメリカ人女性テイラーが津波で亡くなり、遺族が大好きだった娘の意志を次いで、石巻市の学校に本の寄附を希望しているようだ。遠藤さん、そのための本棚を作ってくれないないか」

 心の中に光のようなものを見つけた彼は、七つの小学校に向かい、要望を聞き取ると、オーダーメイドで本棚を作り始めます。

 子どもたちが場所を気にせず本を楽しめるよう、本棚の底にキャスターをつけ、ベンチとしても使えるようにする。触ったときの木のぬくもりを感じられるよう、ニスは使わず天然のオイルで仕上げます。

 「俺にも、生きる意味があるのだろうか」

 2023年の春、テイラーの両親が感謝を伝えるために来日してくれました。

 涙で歪んだ景色の向こうに、テイラーの両親の微笑みが見えます。

 生きたい。遠藤は今、ようやくそう思えるようになりました。

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