※読んだ本の一部を紹介します。
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
はじめに
新型コロナによるパンデミックも、ウクライナでの戦争も、現在進行中の出来事です。
十分な時間をおき、丹念に資料を調べ、事後的にこれらを論じることもできますし、不可欠な作業でもあるのです。
しかし、現在進行形の出来事だからこそ、そこで見失われたり、気付かれたりすることのない私たち自身の捉え方や認識の仕方を、知識社会学的アプローチによってある程度は解明できるでしょう。
目次
書籍情報
タイトル
オックスフォード大教授が問う
思考停止社会ニッポン
曖昧化する危機言説
著者
苅谷剛彦
オックスフォード大学社会学科および同大学ニッサン現代日本研究所教授。
出版
中公新書
第2次隔離生活
羽田のホテルからN市のホテルで隔離させた時にフィールドノートです。そのときの「1日の流れ」というしおりを紹介します。
◎1日の流れ◎ しおり
7:00 バイタルの計測 血圧、体温、SPO2
7:30 朝食(お弁当・ペットボトルの配布)
お弁当は各階の19号室・お飲み物はエレベーターホールに置いてあるので、自分で持って行ってください。
9:00~12:00 体調確認
看護師が電話をします。電話が鳴ったら出て下さい。
※電話に出ない場合、部屋に入らせていただく場合がございます。
10:30 ゴミ回収
スタッフが老化のゴミ箱の改修に伺います。
12:00 昼食
15:00 バイタルの計測 血圧、体温、SPO2
18:00 夕食
食事や足りなくなったアメニティ、水などは、部屋を出て自分でエレベーターの前に置かれたテーブルまで取りに行くという。部屋を出て老化を歩くことが許されているのです。
マスク着用は義務付けされますが、国の管理方式とはだいぶ違います。
健康管理も羽田ではスマホを使って数値の入力やチェック項目をクリックするだけでした。ここでは、保健士さんが直接一人ひとりに効くようです。ご丁寧な対応でありがたいと伝えると、隔離されている人のほうが大変なので、できるだけのことをしたいと言っていました。
国境管理に見るご都合主義
歴史的に実際の鎖国経験を持つ日本人にとって、「邪悪なるもの≒鬼」は外部から侵入すると考えられていました。感染症はその最もたるものです。
国境管理によって自国民を感染から守ろうとする姿勢は、どの国の政府にも共通します。重要なのは、どの部分で国を開いておくかをめぐっての温度差です。
日本では極少数である留学生でさえも、リスクを冒してまで招く必要のない「異質」なものと位置づけしてしまったと言うことができます。
自分たちの都合の良いものは歓迎し、悪いものは拒絶する習慣を近代化の歴史を通じて身につけたのです。
岐路に立つ日本
ウクライナでの戦争は、日本社会にも古くて新しい危機感を生みました。
「平和ボケ」と表象する知識や議論、憲法第9条をめぐる論争、コロナ対策においても、あいまいさを残した対応です。
「鎖国」の経験が生み出した日本的な知恵だと言えばそういえなくもありません。
対立や葛藤を含んだ知識のアンビバレンスとともに生き、緊張関係に耐え、悩み続けながら、考え、行動することを選べるのか。その岐路に私たちは立っています。
感想
サイト管理人
注意を促すだけで、大体の人が従ってくれる国民性があるからこそ、あいまいなコロナ対策が取れたとも言えなくもありません。
なあなあの対応を臨機応変にしてきたので、ある程度の快適な生活が送れていました。
知人の妹さんがコロナで亡くなられていますので、身近なところで起こっている危機ではあります。
だからといって、全ての人が働かずして何年も暮らしていける世の中にはできていません。
一時期は世界が見習おうとしていた、日本社会のコロナ対策は、そんなに悪いものでも無いような気がします。
こういった、新書で別の人の意見、課題、悩み、解決法に触れてみてはいかがでしょうか。