ソクラテスからSNS/著者:ヤコブ・ムシャンガマ

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書籍情報

タイトル

ソクラテスからSNS

「言論の自由」全史

発刊 2024年3月20日

ISBN 978-4-15-210315-4

総ページ数 572p

著者

ヤコブ・ムシャンガマ

シンクタンク「ユースティティア」CEO。
ヴァンダービルド大学研究教授。
「個人の権利と表現のための財団(FIRE)」シニアフェロー。

数々のメディア・専門誌に幅広く寄稿しています。本書が初の著書。

出版

早川書房

もくじ

  • はじめに
  • 第一章 古代における言論の自由
  • 第二章 中世は暗黒時代ではない
    • 中世イスラム世界とヨーロッパ世界の知の探究と異端審問
  • 第三章 大いなる混乱
    • ルター、グーテンベルク、宗教改革
  • 第四章 啓蒙主義の種
  • 第五章 啓蒙主義の時代
  • 第六章 自由の防塁を築く
  • 第七章 革命と反動
  • 第八章 静かなる大陸
    • 19世紀ヨーロッパの言論の自由を巡る闘い
  • 第九章 白人たちの責任
    • 奴隷制、植民地主義、人種間(不)平等
  • 第十章 全体主義の誘惑
  • 第十一章 人権の時代
    • 勝利と悲劇
  • 第十二章 言論の自由の後退
  • 第十三章 インターネットと言論の自由の未来
  • おわりに

書籍紹介

どんな本か

 ヤコブ・ムシャンガマによる洞察に満ちた一冊で、表現の自由の歴史を探求しています。ムシャンガマは法律家であり、自由権利研究所の創設者としても知られており、本書では哲学者ソクラテスの時代から現代のソーシャルメディアまで、言論の自由がどのように進化してきたかを解析しています。

言論の自由

 表現の自由が西洋のみならず世界中のさまざまな文化や政治システムにどう影響を与えてきたかを掘り下げます。また、ソクラテスの裁判から始まり、啓蒙時代の思想家たちの議論、そして現代のインターネット時代における表現の自由の挑戦まで、様々な時代を通じての具体例を紹介しています。

現代との考察

 デジタル時代における言論の自由の境界とその規制について深く掘り下げています。ソーシャルメディアが台頭することで、情報の拡散がどのように加速され、またどのようにして新たな形の検閲や制限が生まれているのかを明らかにします。ムシャンガマは、情報技術の進化が表現の自由に与える影響を客観的に分析し、その複雑さを浮き彫りにしています。

問題の提示

 本書では表現の自由が個人の自己実現、民主主義の健全性、社会の全体的な進歩にどう貢献しているかを説明し、表現の自由を制限しようとする動きがなぜ問題とされるのかについても論じています。これにより、読者は表現の自由の価値と、それを守るために何が求められるかを理解する手助けとなるでしょう。

どんな人にオススメか

 『ソクラテスからSNS』は、表現の自由とその進化について考えるための重要な一冊であり、デジタル時代を生きる私たちにとって考えるべき多くの問題を提示しています。歴史的な背景から現代の議論に至るまで、このテーマについて考察を深めたいと考えている読者には特におすすめの書籍です。

試し読み

※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。

啓蒙専制君主

 18世紀、啓蒙思想が力を得ると、権力者たちもこれを認識し始めました。これが「啓蒙専制君主」の登場です。

 君主たちは、言論と表現の自由を重視しました。例えば、プロイセンのフリードリヒ大王やロシアのエカチェリーナ大帝が、啓蒙思想に傾倒していたとされています。

 エカチェリーナは、ヴォルテールやディドロ、ダランベールといった哲学者たちと積極的に手紙のやりとりを行い、どのようにして理想の社会を築くかについて意見を交換しました。ロシアの言論の自由における分岐点となったのは、1767年に新法典編纂委員会が開催されたことです。ここでエカチェリーナが用意した法典の草案は、ベッカリーアやモンテスキューなどの啓蒙主義思想家の著作を参考にしていたと言われています。草案では、印刷や出版の自由を謳っており、少人数による公の場での知的な議論の重要性を強調しています。しかし、彼女の権力を脅かすものであれば、即座に粛清の対象となりました。これは、独裁者に近い啓蒙家としての側面を示しています。

 プロイセンでも、パリやロンドンと同様に、開かれた討論の場が増えることによって、思想家たちの発展が加速しました。1750年以降、書店、読書会、フリーメーソンのロッジなどが急増し、そこで新しい思想が共有され、議論される機会も増えました。

自由論 自由で平等な言論に向かうイギリス

 1830年にホイッグ党政権が誕生します。1832年の大改革法では、「腐敗選挙区」の大半をなくし、有権者を大幅に増やしました。重要なのは、1836年に印紙税が75%減額されたことです。イギリスの出版・報道の自由にとって転機とされることが多いですが、印紙税のない闇の出版物が増えたせいで取られた施策でした。

 ただ、印紙税の減額の影響で、新聞の年間販売部数は二年間で2550万部から5300万部超へと劇的に増加しています。1850年間までには1億部へと増えています。

 平等な言論の自由は、基本的な権利として与えられたものではなく、制約をものともせずに飽くことなく言論活動を続けた人々の努力、そして一般の民衆から要求の高まりによって実現したものと言えるでしょう。イギリスでは、出版・報道の自由は政治的言論の領域にとどまりました。また、政府は危険思想の広まりよりも、社会秩序への脅威に目を向けるようになったのです。

 1848年に、ジョン・スチュアート・ミルが改革の成功を宣言しています。ミルは勝ち誇ったように、労働者階級は「読むことを教えられ、新聞や政治的小冊子を手に入れることを許された時に……政府の家父長的、あるいは父権的な体制」のくびきを投げ捨てたも同然だったと記しています。

 また、ミルは異端の宗教思想を一般の人間に広めることを許され、そのおかげで労働者階級が自分の頭で考えるようになり、「政府の中に自分の分け前を求めるように」なったと述べています。

ヘルシンキ効果

 世界人権宣言が採択された当時、世界はまだ未来への希望を持つことができました。しかし、冷戦や民族主義によって、その理想はしばしば脅かされました。

 人権が希望の言葉として用いられた背景には、植民地解放、公民権運動の成功、カーター政権の人権重視の姿勢、人権NGOの急増、国境を越えた情報の流通を可能にした通信技術の進歩など、多くの要因があります。特に重要なのは、冷戦期のヨーロッパで行われた1975年のヘルシンキ宣言です。

 ヘルシンキ宣言は、二年半の交渉を経て、全欧安全保障協力会議の主催のもと、35カ国の署名により採択されました。その主な目的は、冷戦の緊張を緩和し、核の惨事を回避することでした。

 共産主義国家にとって、人権に関する文言は魅力的ではありませんでした。ラジオや情報誌が届かないようにする動きがあり、人権の普及は困難を極めました。しかしながら、ソ連や東側諸国も、一部には無意味な美辞麗句に過ぎないとの見方もしつつ、人権に関する文言を受け入れることになりました。

 これにより、ヘルシンキ宣言に賛同した社会主義諸国に対して、その履行を確実に求める圧力をかけることが可能となりました。

 ヘルシンキ宣言だけでなく、経済、軍事、外交、地政学などの要因が絡み合い、ソ連と東欧共産圏の崩壊および冷戦の終結を促進しました。しかし、人権という言葉や概念が西側諸国の政府やNGOによる反体制運動の重要な基盤となり、団結を促す力となったことは否定できません。

エリートパニック ソーシャルメディアの自由

 ソーシャルメディアは、自由で民主的な国々からは積極的に活用される一方で、独裁国家にはしばしば抑制の対象とされます。

 オバマ元大統領は、オンラインの戦術を駆使して政治のエリート層を出し抜き、政治運動やコミュニケーションの手法を一新しました。

 ソーシャルメディアの負の側面として、衝撃的で誇張されたコンテンツが事実よりも速く広く拡散される傾向にあることが指摘されています。MITの調査によれば、虚偽のニュースは実際のニュースより70%もリツイートされやすいと報告されています。

 現代の民主主義社会のエリートによるソーシャルメディアへの不信感は、歴史上の特権階級が過激思想への曝露を懸念したのと根本的に同じです。例えば、ピットの恐怖政治や1798年の煽動防止法がこれに当たります。

 ツイッターとYouTubeは、それぞれ2019年と2020年に過去最高レベルのコンテンツを削除しています。このような広範囲なリアルタイム規制は史上類を見ません。

 プラットフォーム企業が自己防衛のために導入する規制は一貫性が欠けることが多く、ルールの曖昧さから無関係なコンテンツまでもが影響を受ける場合があります。例えば、厳格な規制はしばしば逆効果になり、宗教観を気にした1%の視聴者によって、映画の宣伝などができなくなることもありました。何か1つでも検閲の対象にすると、対象にせよという要求がでて際限がなくなるでしょう。

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