※ 毎朝、5分ほどで読める書籍の紹介記事を公開します。
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
目次
プロローグ
1484年のイタリア。前世紀末の文化的革新、これをルネサンスと呼んでいます。
フィレンツェでは、ボッティチェリが神話画「春」を完成して「ヴィーナスの誕生」にとりかかっていました。
ミラノでは、レオナルド・ダ・ヴィンチが「岩窟の聖母」の作成に従事していました。
ローマでは、システィーナ礼拝堂を建立して壁面を美しく装飾させ、世俗的教皇シクストゥス四世が、インノケンティウス八世にその座を譲ろうとしていました。
15世紀では、エジプトやギリシャに限らず、一民族が多くの神々を目的に応じて崇拝する多神教が一般的でした。その中で、ユダヤの民だけが、世界を創造した唯一神を信じていたのです。ユダヤの中からイエスが現れて革新し、キリスト教は激しい迫害を受けながらも、次第にローマ社会に浸透していきます。
本書の意図は、宗教の領域から哲学・思想、オカルト・神秘主義を収めながら神々の再生を解明することです。文化と根本的な概念とその変容を、具体的に描き出す試みとなっています。
書籍情報
ルネサンスの神秘思想
第1刷 2014年12月1日
発行者 鈴木哲
発行 (株)講談社
ISBN 978-4062920957
総ページ数 448p
伊藤博明
専修大学教授。専攻は、ヨーロッパ中世・ルネサンスの思想史。15世紀フィレンツェのプラトン主義をめぐる諸問題およびバロック期におけるテクストとイメージの関連に係わる諸問題を研究。近代ヨーロッパ文化にも触れています。
講談社学術文庫
蘇るオリュンポス神
Image by Arthur Ribeiro Manoeldabomba from Pixabay
ルネサンスの幕開けとなったイタリアのヒューマニズム運動について語る時、フランチェスコ・ペトラルカから始めなければなりません。
ペトラルカによれば、神学者たちは、その探求の最大の対象たる神についてこう述べています。
神学者たちは、全能きわまりない神性を空虚な脆弁であれこれと定義し、また神を弄び笑いものにして、自分たちの大きな愚昧さの、諸規則を神に押しつけている
『わが心の秘めたる闘いについて』第一巻46章
スコラの神学者にとって神は定義の対象であり、煩瑣な議論の対象でしかありません。ペトラルカにとって神は、愛と崇敬の対象であり、キリストは自らの性を導く規範を教える存在です。
ペトラルカに端を発したヒューマニズムの運動は、フィレンツェで確固とした発展を見ます。この運動において中心的役割を果たした人物は、ペトラルカの弟子、コルッチョ・サルターティ書記官長です。
サルターティは、異教の詩人が歌ったオリュンポスの神々に対して「秘儀的解釈」を加え、そのキリスト教的真理を解明しようとします。
典型例はユピテルとユノです。人間の本性を表していますが、唯一の真なる神の諸特性をも意味しています。人間の生に対して、火やエーテルといった元素と受け取るのです。超天界からの影響として神の意志や運命として理解されます。
サルターティの神話解釈の自由度は、キリスト教神学と接触せずに、放牧とふるまうことが可能になりました。
哲学的平和の夢
Image by Karina Cubillo from Pixabay
フィレンツェのプラトン・アカデミーに属した思想家の中で、学頭というべきフィチーノと並んで有名だった人物は、ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラです。
1480年から1482年までピーコは、パドヴァでアリストテレス派を中心とする哲学を学びました。1484年の春にフィレンツェを再び訪れて、未知の哲学文献を発見し、ギリシア語を習熟しています。フィチーノたちとの交友を通して、次第にプラトン哲学に傾倒していくのです。
ピーコが達成しようとしたことは、人類が生み出してきた知的遺産を咀嚼して総合し、そこから新しい哲学を打ち立てるこことです。「哲学的平和」と呼ばれるピーコの試みは、人間の尊厳に関する教説とともにピーコの思想的中心を形成していました。
ピーコがアラビア人、ギリシア人とも分かち合い多種多様な哲学は『900の論題』で総合されています。前半は、諸学者から取り出されたものです。後半はピーコの見解が示されています。後半では、誰によっても立証されていない「プラトンとアリストテレスの協和」が第一に論じられています。次々と所説の協和が説かれていき、新しい論題が提示されているのです。
ピーコの「哲学的平和」は1つの夢想と称されることになりました。しかし、ルネサンス期のイタリアの「神々の再生」を真に把捉しようとするなら、ピーコの夢想こそ理解しなければなりません。この夢想はピーコ1人ではなく、ヒューマニストたちが紡いできた数々の夢想の1つの終着点と言うべきものだからです。
占星術の復興
占星術は歴史の影の部分に追いやられますが、12世紀に諸学者がイスラム圏からラテン世界へと移入される際に復活します。プトレイマイオスの『テトラビブロス』は『アルマゲスト』に先だって、1136年ごろにラテン語訳されているのです。
13世紀も後半になると、カトリック教会は占星術に対して、あらためて攻撃を開始します。12世紀の学問的革新に対する反動という側面が強く見受けられるのです。
ヒューマニストたちについて見れば、ペトラルカはアウグスティヌスを援用しながら、占星術師を批判しています。サルターティも後年には厳しく批判しているのです。その理由は、占星術が人間の自由意志を否定する点にあるようです。
一方で、ルネサンス期に入ると占星術への関心は増大し続けました。詩人や文学者の関心を惹きつけ、とりわけ君主たちは占星術師を重要したのです。典礼や結婚式、軍事や外交政策まで彼らと相談の上で決定していました。
サン・ロレンツォ聖堂に描かれたホロスコープは、ルネサンス期に宮廷に広まった占星術の代表的な例なのです。
あとがき
歴史家の間では「ルネサンス問題」と呼ばれる特色と時代区分をめぐる議論が白熱したことがありました。現在のルネサンス研究は、様々なテーマに対して豊富な資料の読解にも続いた精密な議論が主流です。
ルネサンスの時代が有する、様々な様相のもとに展開された独自性があります。政治的、経済的、祭やモードにまで至る広い領域です。多くの際を含みつつイタリアからイングランドやポーランドに伝播していきました。
本書を読まれて、この森を自分の足で探索してみたいという方が現れるならば、望外の喜びです。
感想
サイト管理人
宗教、占い、そういったものは現代では、かなり良く出来たものになっています。
お寺の住職に悩みを相談すれば、今まで相談されつくした過去から厳選された教えとやらが用意されています。あとは、住職の話を聞いてた相談者が勝手に解決していくのです。
占いも似たような対処の仕方があるのだと思います。予知という要素が入っている分、占いのほうが不確定要素が強いかもしれません。
こういった分野観で何百年も前にバチバチと論争を繰り広げられていました。そして、今とは違って社会問題級です。科学でわかっていることが多い現代とは違う見解がみられます。
物事は考えるという哲学がなければ、科学も生まれませんが、答えのないものについて900の論題を立てるという途方もないことを考えていたわけです。
哲学は本当に、森を彷徨う学問だと思いました。違う頭の体操になると思います。
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