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(4.5 / 5)なにかを始める前に読んでもらいたい一冊です。
日本の武士が持っていた道徳は、本当に商売には活かせないのか?近代日本の設計者が、孔子の「論語」をもとに語る本の現代語訳です。
長く続く豊かさを、誰もが求めます。どう生活するか迷ったとき、働き方を考えるとき、渋沢栄一という原点に帰ってみるといいのではないでしょうか?
目次
書籍情報
タイトル
現代語訳 論語と算盤
著者
渋沢栄一
訳:守屋淳
出版
ちくま新書
内容
実業界の父
渋沢栄一は、設立に関わった会社は481社に渡り、日本の資本主義の制度を設計した人物の1人です。
500以上の慈善事業にも関わり、渋沢の考える道理を通してきたとされています。
資本主義が広まり実業が発展していったが、モラルに欠けている部分が多かったようです。実業界の暴走を止めるべく、参考にしていた孔子の「論語」の教えを実業に活かせないかと考えていました。
渋沢栄一を慕う人が1986年に竜門者という組織を作り、渋沢の講演を雑誌に掲載していきました。その雑誌に掲載された内容をテーマ別に編集したのが「論語と算盤」になります。
処世と信条
「ソロバンは論語によってできている。
論語もまた、ソロバンの働きによって経済活動と結びつく
だからソロバンと論語は、離れているようにみえて近いものでもある。」
実業は、多くのひとにモノがいき渡るようにすることです。モノの豊かさは、大きな欲望を抱いて経済活動を行ってやろうという気概がなければ進展しません。政界や軍に大きな顔をさせないで、なるべく実業界が力を持ちたいところです。
永続した富を実現するには、道徳を基盤とした商い方をする必要があると考えています。
世間とつきあうのがうまい徳川家康
多くの英雄や豪傑がひれ伏し、十五代続く幕府を開きました。200年ほどは枕を高くして寝ることができたのです。
家康が神君遺訓に残した言葉は、論語と符合しています。
- [遺訓]人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし
[論語]指導的立場にある人物は、広い視野と強い意志力を持たなければならない。責任は重く道は遠いからだ - [遺訓]己を責めて人を責めるな
[論語]自分が立とうと思ったら、まず人を立たせてやる - [遺訓]及ばざるは過ぎたるより勝れり
[論語]過ぎたるはなお及ばざるがごとし - [遺訓]堪忍は無地長の基、怒りは敵と思え
[論語]自分に打ち克って、社会秩序に従う
身の程を知れ、という教えは論語の各章で繰り返し説かれています。
欧米諸国の新しい研究も必要ですが、東洋古来のものも捨てがたいものがある。
論語はむずかしいものではない
広い世間に効果があり、わかりやすものはずです。
孔子は、商人でも農民でも教えを説いてような方でした。論語は実用的で日常的な教えなのです。
学者が難しくしてしまったにすぎません。
時期を待つ必要がある
チャンスを気長に待つことも、世の中を渡っていく上で必要なことです。
ものごとには「こうすれば必ずこうなる」という原因と結果があります。これを無視して行動してもうまくいかないものです。
成行きを広く眺めつつ、気長にチャンスを待つことも大切です。そのためには、忍耐もなければなりません。
争いはよいのか
理由もなく争うことはしないが、世の中を渡るうえでは必要なことだと考えています。
外交においても、常に勝ってみせるような意気込みがなければなりません。芸術や学業にも同じことが言えるでしょう。
成長や進歩のためには、争いはなくてはならないものなのです。
2通りの後輩の指導の仕方があるとします。
- 何事にも親切に接する指導で、たとえミスをしてもフォローしてもらえる
- 敵国のような態度をとり、辛く後輩にあたる
ミスをしてもフォローされるようであれば、いつまでも先輩に甘えてしまうのではないだろうか。毎回のように先輩にからかわれていたら、上げ足を取られないように身を引き締めるのではないだろうか。
真価を試される機会
順調なようでいても、波風が起こることがあるかもしれません。
私は逆境の中で生きてきた1人です。
明治維新の前後に生まれ、尊王討幕や攘夷鎖湾を論じて東西を走り回りました。一橋家の家来となり幕府の臣下に加わり、民部公子・徳川昭武に随行してフランスに渡航したのです。日本に帰ると、幕府は滅び王政に変わっていました。
勉強が足りていないとは思いませんが、逆境の人になってしまいました。
どうしようもない逆境に対処するには、天命に身をゆだね、運命を待ちながら、コツコツと勉強するのがよいでしょう。
世の中は、自分次第なことも多いのです。本気で頑張れば、大体は思い通りになります。
だいたいの人は、最初からねじけた人になってしまいます。これでは、幸福な生涯は望めません。
立志と学問
当時、物質的・科学的な教育はありませんでした。
武士には高いレベルの教養が用意されていましたが、農工商に携わるひとへの学問はほとんど無かったのです。一般教育のレベルも低く、内容も政治教育に偏っていました。
海外と交流するには、科学知識が必要なことを叫んできた。
幸いなことに、少しずつ才能と学問が備わったひとが排出されるようになりました。短い年月で、外国に劣らないくらい文明が進歩しました。
それとともに、武士道が消え、精神教育が衰える弊害を引き起こしたといえます。
自ら箸を取れ
青年たちのなかには、応援してくれる人がいないと嘆く者がいます。みなが、初めから環境がなければ活躍できないのでしょうか。
手腕があり、頭脳に長けていれば、世間がほってはおかないでしょう。
木下藤次郎(豊臣秀吉)は、賤しい身分から仕事を掴み地位を得た人物です。草履取りの仕事を大切に努め、信長の使用を勝ち取りました。
与えられた仕事に不平を言うのは間違っています。
単純な仕事も、1つの歯車です。些細なことを粗末にするようなひとでは、大きなことを成功させることができないでしょう。
千里の道も一歩からです。
軽蔑することなく、忠実に、誠意をこめて仕事に取り組むべきです。
志の調和
志を途中で変えることには不利益を被ります。だからこそ、最初に志を立てる時には、慎重になる必要があるのです。
自分の長所と短所を細かく考察し、立てた志をやり遂げられる境遇にいるのかを深く考慮します。一生を貫ける見込みがたったところで、方針を決めるとよいでしょう。
大きな志を幹として、枝葉となる小さな志を立てていきます。枝葉は移り変わっていきますが、工夫することで幹に影響を与えないように調和をとっていくのです。
孔子の志はこのように変化していきました。
- 15で学を志す
- 30で自立し
- 40で迷わなくなる
- 50で天命を知る
社会の学問と人情
人情には欠点があります。目先にこだわり、わずかな成功で満足してしまったり、それほどでもない失敗に落胆する者が多いようです。
高学歴の者が、現場経験を軽視するような問題を読み誤ることは改めなければなりません。
地図はとても精密で一目で見渡せるので、知ったつもりになってしまう。いざ実地を踏み出してみると、迷ってしまうこと請け合いです。
日本は、他国の文化を取り入れることで多宗教化し、宗教の倫理が薄くなっていました。宗教の倫理が商業に影響を与える影響がなかったため、商工業者には道徳や人の踏む道がなかったのです。
日本では宗教の倫理より科学的知識が広く歓迎されて、利益追求の科学にばかり研究が行われるようになりました。
豊かさや地位は、人の欲です。利益追求の学問は性欲を煽るようなものとなります。
道徳はどこかに消えてしまった。
道徳とは無関係に、たくさんの利益を得たひとを崇め奉るようになりました。
生涯に歩むべき道
武士の家に生まれたら、知識や能力ないひとでも権力を振ることができてしまいました。
わたしのシャクにさわりました。
低い身分で終わることが情けなく感じて、武士になろうと志したのです。
武士になり、当時の政治体制をどうにか動かすことができないかと考えていました。今になって思えば、大蔵省に主仕するまでの10年間は空費したようなものです。
政界に身をおくことが、自分には向かないことだと気づくのが遅れました。今でも後悔が残ります。
実業界で身をたてようと志したことが、本当の立志であったと思います。
欧米諸国が強かったのは、商工業の発展にあると考えて、実業家になりました。それから40年、一貫して変わらずに志してきたのです。
前に立てた志は、身のほどを知らないものだったのです。
青年時代に商工業に向かっていたら、素養をもっと積むことができたに違いありません。
常識と習慣
常識
常識は、どんな地位にいても必要です。
「智」知恵、「情」情愛、「意」意思、のバランスを保って成長したものが常識となると考えています。
智を持つとは
- 知恵がないと物事を見分ける能力がつかない
- 学識だけがあっても、プラスとマイナスの面が判断つかなければ、採ることができない
情も持とう
- 情がないと、自分の利益のために走り、他人を突き飛ばしても平気になってしまう
- 一種の緩和剤として、情は物事を円滑に解決できる
- 極端に走って、どうしようもない結果を招く前のブレーキにもなる
- 感情は瞬間的に湧き上がることもあるため、コントロールが必要である
意は人生に関わる
- 強い意思は、人生において大きな強みを持つ
- 他の智や情がともなわないと、我強いひとになってしまう
- 意思ばかり強くても、困り者にしかならない
習慣
習慣は心に影響を及ぼし、人格にも関係してきます。普段からよい習慣を身につけるように心がけるのは、社会で生きていくためには大切なことです。
習慣というのは、少年時代が大切であると思います。
少年のときに読んだことは、よく覚えているものです。少年時代に良い習慣を身につけ、個性にまで高めたいものである。
少年時代に家出をして、流浪し気のままに生活をしたことが、悪しき習慣になってしまいました。
しばらく悪い癖が抜けなくて苦労したものです。大部分は直すことができたでしょう。悪いと知りつつ改められないのは、自分に打ち克つ心が足りないからだと思います。
日々、新しい気持ち(楽しみ)を持って社会に挑まなければなりません。よって、老人になっても怠けることなく習慣を重んじなければならないでしょう。
親切にみえる不親切
誠意がなく奇をてらっている不真面目な物が、社会から信用されることがあります。
良心的で真面目な者が、のけ者にされて落ちこぼれることも少なくありません。
志とふるまいの2つの面を比較して考えてみましょう。
志が立派でも、ふるまいがどんくさかったらしょうがありません。ふるまいが、人の害になっていても善行とはいいがたいのです。
志が曲がっていても、ふるまいが機敏で忠実、人に信用されるものであれば、その人は成功してしまうのです。
悪魔のような心を持っている悪女でも、外見が色気に溢れていれば、惑わされてしまうのが男心です。
人生は努力にある
勉強をしない国によって支えられる国家は、繁栄も発達もしないでしょう。
わたしも勉強家であろうと努めている
- 1日も職務を怠ることがない
- 毎朝7時に起きて、来訪者と面会するように努めている
- 70歳をすぎても、怠ることはない
孔子は「口ばかりの奴は嫌い」といっている。健康に注意を払わずに病気なれば、「普段から健康に気を付けてください」と医者に忠告されるのが落ちでしょう。
自分の本心に沿う道を行く
物事の是非は、単純に割り切れないことがあります。言葉巧みに誘導され、本心とは違う道へ足を踏み入れてしまわないように、「意志の鍛錬」が重要です。
相手の言葉に対して常識を照らし合わせて考えると、将来のためになるか、ならないかを判断できるようになります。
静かな気持ちで、じっくり考えてから決断するメリットです。
- 意志の鍛錬によって、隙がなくなる
- 良心的で信頼されるようになる
- 何事も順序良く進展させられる
その場で機転を利かすというのは、難しいことです。どうしても不本意な結果になってしまいます。
仁義と富貴
経済活動を正しく行う
経済活動とは、利潤を上げていくことに他なりません。
道徳ばかりに走り、滅亡した宗の時代を振り返ってみましょう。
頭でっかちの理論を振りかざし、利益を掴むことを否定することで、国家は脆弱になっていきました。そしてモンゴルに攻め込まれて、王朝をたてられる羽目になりました。
自分のことばかりを考えた中国の元王朝を振り返ってみましょう。
空気を読まず、勝とうとしたばかりに国家が機能せず、権威が失われました。
社会と道徳はバランスよく推し進めていかなければならない。道徳と社会のバランスのとれている道のことを道理という。
道理と欲望はくっついていなければなりません。
富と地位
孔子の教えには
- 人間であるからには、富や地位のある生活を手に入れたいと思う。だが、まっとうな人生を送りたいのであればしがみつくべきではない
- 貧賤な生活は、だれしもが嫌うものだ。だが、まっとうな生き方をして落ち込んだものでないなら、無理に這い上がろうとしてはならない
意味は
- 道理をともなっていないなら、貧賤でいなさい
- 道理をともなっていないなら、富や地位を得ても問題ない
と、とれます。
孔子は、富や地位を否定しているわけではないのです。「富が値打ちを持っているのなら、賤しい仕事にもつこう。値打ちがないなら、わたしは好きな道を歩みたい」とも語っています。
金銭に罪はない
論語とソロバンは一致すべきという自説を唱えています。
衣食住にはお金が必要で、モノに目がいってしまうものです。道徳心が薄い者ほど、罪を犯しやすいでしょう。そして、自然と金銭を軽蔑する風潮が高まったといえます。
金銭を万能なものにしすぎると、精神を忘れモノの奴隷となってしまいます。
安心に暮らしてもらうためにも、道徳は必要なのです。
無駄にお金を使い、金遣いの荒い人間になることはよくないでしょう。
ケチになり、守銭奴になってしまうことにも注意しなければなりません。
お金は必要な場合に、うまく使っていくのはよいことです。社会を活発にして、経済の成長を促すことを心がけてほしい。
算盤と権利
法より思いやりの道を歩む
法を設けて両者の権利や義務の境界線を引くと、すきまを作ってしまう。
家族でも権利を主張して、法律の裁きを仰ごうとすれば険悪にもなるだろう。
資本家と労働者との間には、長年にわたって情愛の雰囲気を作り上げてきたものがあります。むやみに法の裁きを仰がないようにして欲しいと思っている。
貧富の格差をなくそうと願う者がいます。程度はあるにせよ、いつの時代にも全く存在しないというわけにはいかないものです。
金持ちがいるから、貧しい人々が生まれるのでしょうか。国家の豊かさこそが、個人の豊かさにつながるのではないでしょうか。
競争の善意と悪意
道徳は、商人、武士、政治家、すべての人が守るべきものだと考えています。
何かを一生懸命にやれば、競う必要がでてきます。競争は勉強や進歩の母です。
知恵と勉強で打ち克っていくのは、良い競争だと思います。
評判のよいことを真似して、横から奪い取っていくのは悪い競争です。
他人を妨害することで、状況によっては利益が転がってくるかもしれません。しかし、他人に軽蔑されて、自分や会社・国家の品位を下げることにつながります。
商業道徳の要は、「信用」です。
道徳を難しく考えることはありません。日常のなかに道徳は存在します。約束の時間を守ることも道徳なのです。
合理的な経営
現実の実業界をみてみると、株主の資産を勝手に自分の利益にしようとする者がいます。公私のケジメなく、秘密の行動が盛んに行われるようになりました。
政治や銀行は、ある程度の秘密を守らなければなりませんが、こと商業は機密など持たなくても経営して行けるはずです。
実際の会社には、なくてよいはずの秘密があり、あってはならない私的行為があります。
実際にはない利益、会社のお金を流用するなどは悪事です。ないものをあるというのような嘘は良くないのは当たり前でしょう。
教育と情誼
親孝行は強制するものではない
暮らしの上で不自由な思いをさせないことを親孝行というらしい。それならば、犬や馬を飼うのと同じではないですか。
私の子どもには「心配をかけるとしたら、自分の病気だけにしなさい」と論語の教えをそのまま伝えています。
子どもに孝行をさせるのではなく、親が孝行できるようにしてやるべきです。
サイト管理人
これには、ちょっと足しておきます。
程度によります。認知症などの場合、近所にも迷惑をかける場合があるので、ほっておくのは厳しいかもしれません。
放棄・放任は罪です。認知症の疑いがあれば、早めに市区町村の窓口へいってください。
いろんなケースをみてきました。孝行するしないではなく、せざるを得ない場合もあるので、ここには十分注意してください。
あと、近所に詫びにいかないご家族の方が多すぎます。「いつもすみません。ご迷惑かけます。」を、なぜヘルパー・看護師が言わねばならないのでしょうか。
道徳教育は急務だと感じます。
現代教育
「昔の青年は意気があり、抱負もあった。今の青年はどうだ、軽薄で元気ない。」といわれています。本当にそうだろうか。
昔の青年にも立派でない者はいたし、今の青年にも立派な者はいます。
昔は階級があり、簡単な九九しか知らない者や無学な者も多かったのです。
今は平等にみなが教育を受けられます。多くの青年の中に学問が出来ない者が混じるのは、やむを得ないでしょう。高等教育を受けた者のなかには、昔の天才教育を受けた者と遜色ない者はたくさんいます。
昔は、心の学問ばかりでした。自然と心を磨いていたことでしょう。
今は知識を身につけることを、重視しています。精神を磨くことをおざなりにして、目標がなく、なんとなく勉強している者も多いのです。
江戸幕府の時代の女性の教育は、貝原益軒の「女大学」が唯一の教科書でした。消極的でつつましくいることばかりを重視されていたのです。
今の社会で女性教育が盛んだといっても、まだ十分に効果があるとは認められません。女性を道具視してはならないし、社会の半分を背負っている者です。大いに女性への教育を活発化させなければなりません。
男女でともに助け合いが必要だと思います。
今の教育は学科の科目が多いです。あれもこれもで、時間が足りないといった風情を感じます。
人格や常識、実業教育を身につける努力ができないのは、自然の流れでしょう。
運命
天とは
天からくだされた運命とは、人間が解釈をして決めてしまえるものです。幸福や不幸を運命に加えるようなものではありません。
天からくだる運命は、人間の意識とは関係がないのです。すべての事柄は四季が自然にめぐって起きています。
「人事を尽くして天命を待つ」自分ができることをしたうえで、運命を待ちましょう。因果応報の結果が、「天」がくだす運命なのです。
日本を発展させていくためには
- 全力を尽くして新しいことに取り組む
- 失敗を恐れ過ぎない
- 先進国と競争し、彼らの何倍もの努力を重ねなければならない
- 自律したひとになり、自身を育てていく
- 政府による民間事業の保護を恋々とするような風潮の排除
- 政府の助けをかりない事業の成長
が必要だとかんがえます。
人生の道筋はさまざま
時には悪人に負けてしまったと思えることもあるかもしれなません。しかし、長い目でみれば、善悪の差はハッキリと結果になって現れるものです。
まずは誠実に努力をしていきましょう。
正しい道を歩み続ければ成功や失敗などの低いレベルではなく、価値のある生涯を送ることができるでしょう。
感想
1日も休まず働いたひとの道理に、スキが見当たりません。
「宝くじあたらないかな」という人生が、いかにつまらないか思い知らされました。
「もう、いいじゃないかな」と読んでいて思っていると「ダメだ」と言ってくるのです。
そんな方でないと481社もの設立に携われないということでしょう。よくもまあ、これだけ携われましたものです。
ちくま新書での現代語訳とのことで、こんな自分ですら読めたのですから、とんでもなく読み易いということです。
「なにか仕事はじめたいな」と思ったときに、一旦落ち着いてこの本を読んでみるといいかもしれません。
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