※ 毎朝、5分以内で読める書籍の紹介記事を公開します。
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
目次
はじめに
自由は目的に抵抗します。自由は目的を拒み、目的を逃れ、目的を越えるのです。人間が目的に縛られないことであり、目的にこうするところこそ自由があります。
読者はこれを読んだだけで納得はできないでしょう。結論へとたどり着く過程を経験することで初めて結論の意味が理解できるのです。
書籍情報
目的への抵抗
シリーズ哲学講話
國分功一郎
東京大学大学院総合文化研究科教授。博士(各術)。専攻は哲学。
新潮新書
自分で問いを立てる
UnsplashのKenny Eliasonが撮影した写真
哲学を勉強すると、世の中にあふれている型の考え方から距離を取れると考えています。問いを立てて、概念をもってそれに取り組む訓練ができるのです。自分なりに問いを立てる訓練が含まれていなければなりません。
「みんながやっているから」という圧力はどうしてもかかります。その中で、自分がやるべきだと思っていたことから逸れていってしまうことがあるのです。
自分を見失わないためにも、もの凄く遠くにあって、ボンヤリとしている関心事を大切にすることが必要です。
かなり人生論的な話になりますが、これが今日、若い人たちにお伝えしたいことです。
目的を超越すること
「こういう動機でやっています」とか「目的を達成するためにやっています」としか言えない行為は自由ではありません。
文化祭の出し物を決めるために、学級会で話し合いをするとします。最初には「文化祭に参加する」という目的があるはずです。その目的的によって話し合いが始まり、話し合われている内容によってワクワクするものになっていくことがあります。
そうなれば、文化祭の準備する過程でも楽しくなり、文化祭そのものも楽しめるのです。
稀にしか起こらない幸福な経験なのかもしれませんが、確かにそういうことはあります。目的を超越する自由な行為という時、これとそんなに違うことは言っていません。
大学ではきちんと講義さえ行えばいいので、自分から進んで自由な話の場を設ける必要はありません。ですが、私は「学期末特別講話」と題してお話をしています。
最後にラフにお話する機会があってもいいなと思い、どうせやるならば面白いものにしたいのです。最後にお話しするという目的を越えて、講義じたいが楽しみになります。
準備は大変ですが、自由にお話して皆さんと関わることができていると感じています。単位とは関係ないのにこうして話を聞きにくれたのが素直に嬉しいのです。
動機づけや目的を超えるというのはそういうことじゃないでしょうか。
おわりに
過去のポテンシャルは、断念という事実確認し続けることを著者に強いるのです。
深刻な断念を前提にしない哲学の書籍があってもいいのではないでしょうか。決着をつけることはできていませんが、いま考えていることは現状報告として書き記すものもあるはずです。その考えは続くかもしれませんし、続かないかもしれません。続けられる人がいれば、その人に続けてもらえばいいのです。
感想
サイト管理人
2020年、日本とイタリアではコロナの死亡者の推移が違いました。マスクの着用を促しても断固として着けない人が多くいたので、強い権限をもって制限をしたまでです。自分に都合が良い考えをあてはめて、ちょっと思ったことを言ってしまう著名人もいるでしょう。
知人というフィルターもあって、擁護の雰囲気も出ていますが、第三者からすると「一般人より発言力や影響力、話題性があるのだから気をつけて下さい」に尽きてしまいます。芸能人ニュースあるあるで「たまたま暴力団関係者が「写真いいですか?」と撮られた写真がSNSで拡散される」というのも、本来なら自分で気をつけなければならないものです。
日本の場合だと炎上しないという事柄だったり、哲学者が思ったことを言っても良いのではというニョアンスは、自発的な意見を考えることとベクトルが違うので、私はこの2つの事を合わせて考えることはできませんでした。
社会の空気的なモラルによって批判できなければ、集団で暮らしている人にとって生きにくいと思います。アガンベンについて気になる方は、本書でお楽しみ下さい。
一方で、目的を越えて楽しくなるというのは勉強になりました。予想を良い意味で裏切ってくれると、読書、仕事、ゲーム、などで楽しくなることが確かにあります。こういう出来事があったときは、自分も素直に嬉しく思いたいものです。
下にリンクを貼っておきますので、本書の購入を検討してみて下さい。
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