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目次
書籍情報
標本画家、虫を描く
小さなからだの大宇宙
川島逸郎
生物画家。日本トンボ学会、日本昆虫分類学会等の各会員。
亜紀書房
- まえがき
- 虫たちの記憶
- あらためて、カブトムシに向き合い直す単なる写生にあらず
- 異次元のミクロワールド
- 「描くため」の備え──描画以前
- 前処理 正確に描き、示すために「線引き」の高いかべ
- シンプルな線画でこそ伝わることとは?ひたすら点を置き続ける
- 光をとらえる
- 数える毛と数えない毛
- 鱗粉に隠された真の姿 チョウの体
- 修正は徹底的に
- 忘れられない失敗
- スケッチを通して、アリの体を学ぶ
- 無理難題の依頼
- 窮余の策? 『完訳 ファーブル昆虫記』図版制作の舞台裏前例のない絵
- 蜻蛉の尻尾を描き続けた日々
- 小さな蜂と、先人の仕事とに挑む
- ナナホシテントウを描く
- なめる口とかじる口 カナブンとアオドウガネ
- 忌み嫌われる虫 クロゴキブリを描く
- うとまれる虫に秘められた美しさ
- 勇み足はご法度
- ひとつの主題に挑む ホタル科幼虫を描くまで
- 蟷螂の斧 カマキリと私と
- あとがき
書籍紹介
著者の主張
生物画家として日本トンボ学会や日本昆虫分類学会の会員であり、学術的な裏付けを持つ彼の作品は、昆虫の美しさを超えて、その存在意義や生態を描き出します。この本では、クロゴキブリからホタル科幼虫まで、嫌われる虫から愛される虫まで、すべてが等しく美しいと主張しています。
細かな部分まで描かれた虫
読んでいて驚くのは、川島氏の描く昆虫がまるで生きているかのようなリアリティです。点と線の集積が、まるで粒子が集まって形作るかのように、昆虫の微細な構造を再現しています。椹木野衣さんの書評でも触れられているように、この本の印刷技術も素晴らしく、著者の技芸を余すことなく伝えています。
芸術性も高い
単に虫の絵を描く技術を超えて、自然への敬意と芸術の可能性を探求する一冊です。川島逸郎氏の作品を通じて、私たちは小さな生命体に秘められた宇宙を見ることができます。この本は、読むだけでなく、じっくりと見つめることで、その価値が増すでしょう。
試し読み
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
虫を描きはじめる
私が幼稚園に上がった頃、昆虫の足の先にある細かな節「附節」まで描いた絵に、年長組の子供たちが驚いた記憶があります。
学校の授業中でも、休むことなく虫の絵を描き続けました。食事や勉強もおろそかにしながら、病に苦しむ私が夢中になれるものがあるならと、特に母親はそばで見守り、共に虫を楽しんでいました。
しかし、昆虫は小さくて動きも速いため、実物を描くのは難しく、主に図鑑の絵や写真を模写していました。この模写は、知識を求めながらも手段を持たない一人の子供にとって、大きな意味を持ちました。
はじめて描く全体像
作者: kscz58ynk
実はカブトムシについては、全体図(全身像)を描いたことはありません。私にとってカブトムシは格段に巨大です。カブトムシの交尾器よりも小さな虫ばかりを描いてきました。
そこで、ディバインダーという昔の製図用の道具を使って体のあちこちをじかに測ってそれらのプロポーションや比率をつかむことからはじめました。
ざっと外形を写し取る道具なので、写し取った線はよく確認する必要があります。それから、部分ごとに外形の特徴が現れる角度と向き合い、この虫に特有の絶妙なカーブの連続を丁寧に描画します。
全体像のアウトラインをひき終えたら、あとはひたすら点を置き続けるのみです。光が反射した部分を白く抜いて処理する加減や、光の当たる方向とは逆の、かげになった部分に現れる乱反射の描写の程度に差をつけて行います。
集中力を切らさない工夫として、ちょっと描いては休んでを繰り返しています。ミスして修正する回数を減らしているのです。
標本との格闘を経て
顕微鏡の下で描くべき角度を設定し、スケッチを開始するのですが、これがなかなか難しいのです。トンボの標本は基本的に、頭を左にした横向きに作ります。その際、頭部は左に90度回転させて背面を上に向け、左右の羽はたたんだ状態で紙に包んで乾燥させます。
横向きの標本を平らに寝かせた状態にすれば済むように思われますが、いざ拡大してみると、微妙に角度がついていたり、腹部が軽くねじれていたりすることが多いのです。
困ったことに、丁寧に作られた標本ほど、観察やスケッチがしにくいのです。若い頃は時間があったため、標本制作で内臓を取り除く際に、腹部の膜質の部分をどこまでも丁寧に切り裂いていました。こうしてできた見た目がきれいな標本は、乾燥に伴い、産卵弁を含む腹側の板にゆがみや傾きが生まれることが多く、正しい角度でスケッチがしにくいという問題があります。
すべては描画のために手をつけた資料収集だったはずなのに、そのための使い勝手を忘れてしまっては仕方ないと、時を経てから教訓を得ました。