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目次
書籍情報
宇宙に質量を与えた男
ピーター・ヒッグス
発刊 2023年10月10日
ISBN 978-4-15-210274-4
総ページ数 383p
フランク・クローズ
オックスフォード大学理論物理額名誉教授、オックスフォード大学エクセター・カレッジ物理学名誉フェロー。英国王立協会フェロー。
長年にわたり一般への物理学の紹介と普及に努めている。
早川書房
- はじめに
- プレリュード 教授失踪事件
- 第一部
- 銘板で見た名前
- 一重らせん
- 粒子の爆発
- 超伝導体
- ひらめきの訪れ
- これで六人になった
- あるボゾンの誕生
- 「ピーター_君は有名だぞ!」
- 第二部
- 一度目の失踪_1976年
- 千里の道も一歩から
- 1TeVを目指す装置
- 神の粒子の父
- 「終末装置」
- 「私たちはCERNに行くべきだ」
- 七月四日
- 第三部
- 逃避計画を考える頃合い
- 輝かしい賞
- ジグザグ
- エピローグ 平原を見晴らす眺め
- 謝辞
- 付録4.1 ギンツブルクとランダウのメキシカンハット
- 付録5.1 ヒッグスの第一論文を読み解く
- 付録5.2 ヒッグスの第二論文を読み解く
- 解説
- 原注
超伝導体
1911年にオランダの物理学者ヘイケ・カーマリン・オネシュが、摂氏マイナス269度にまで冷やされた個体の水銀が電流への抵抗を突然失うことを発見してから、電圧をかけずに電流がいつまでも流れる現象を誰も説明できずにいたのです。
導電体とは、電流が容易に通れる素材のことです。電流は電子の流れであり、銅や鋼鉄や水銀のような伝導体の内部で原子から解き放たれた電子によって生じます。
電子はスムーズな流れから電気抵抗によりはじきだされ、電荷のぶつかり愛により低周波の電磁放射が起こり、格子がわずかに揺れて熱を発します。これが、おなじみの電気現象です。それが、一部の伝導体が極低温になったときに、電気抵抗がなくなって、その素材が超伝導体のなります。
1959年、理論家の南部陽一郎は、対称性が自然現象を支配する仕方の理解に穴を見つけて、超伝導が対称性が自発的に破れて隠れた状態の一例であることを見い出したのです。この革命から導かれる広範な研究は今も続けられています。
ひらめきの訪れ
一般論として質量ゼロの粒子は実験でみつかっておらず、場の量子論で対称性の自発的破れをほかに応用することは必ずしも妨げられていないかもしれない。と、ヒッグスは期待を抱いていました。
このひらめきが訪れるまでの3年間は行き止まりの道をたどっていたようです。ゴールドストーンが電磁場を無視したのは、それが南部の解析に含まれていなかったからです。
ヒッグスはマイケル・フィッシャーと仲が良かったので、凝縮系に関する理論物理学も知識がありました。そのおかげで、超伝導の尋常ならざる性質を知っていたのです。超伝導を示している金属がその内部から磁場をすっかり追い払う性質に着目することができました。
臨界温度の超伝導体の上に磁石を置くと、超伝導体が磁場を押し出し、磁石は超伝導体の少し上に浮きます。これがリニアモーターカーなどでの磁気浮揚の基本です。
「終末装置」
LHCの始動が2008年9月10日に定められました。計画から15年を費やした装置です。
ビックバンまでさかのぼる旅の始まりとも言える今回の始動は、科学的に言ってNASAによる宇宙船の発射と肩を並べるリスクを伴っていました。ロケットの発射を生中継するような緊張感です。世界中のメディアも集まってきます。
そんなときに起こったのが、部品の壊滅的な損傷です。加速器の磁石間をつなぐ電気接続の不良が原因で、機械的な破損が発生しました。ビームのエネルギーをLHCで一桁上げるために、磁石のパワーを最大にすることで起こった摩耗です。
ようやくすべてが作動したのが2009年11月20日、陽子ビームがLHCに戻ってきた。2010年になり、装置の実験準備が整いました。おかげで、最初のデータが得られ始めたときには、結果分析を始める用意がすっかり整っていたのです。LHCはそれぞれビームで最大4TeVのエネルギーという当初の目標を達成し、ヒッグスは「自分の人生のありようが今まさに変わろうとしている」気がしていました。
ヒッグスのノーベル賞受取
2013年にノーベル賞を受け取るためにストックホルムへ赴いています。授賞式では服装規定の順守が必須です。
主催者が受賞者に特別な服装を一式用意し、バックルで装飾されたエレガントな靴も含めて、仕立て屋でサイズ合わせをすることになっています。ヒッグスにとって正装することはストレスのたまるものでしかありません。緊張を強いられる事態がイギリスを出国する前から始まっていたのです。
ストックホルムにエディンバラから直行したかったに違いないのですが、実際には同僚のアラン・ウォーカーとロンドンを経由しました。発表後すぐ、スウェーデン大使から、イギリスのノーベル賞受賞者数名を交えた晩餐まねかれたからです。ロンドンに1泊してから、ストックホルムへ飛ぶことになっていましたが、滞在中に予定が増えていったことで、あわてて空港に駆け込む事態となりました。
ヒッグスは、この2日間を「地獄」と形容しています。
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