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目次
書籍情報
ニッポンはじめて物語
世界初・日本初のヒット商品を生んだ
開発者の熱き魂
発刊 2024年3月29日
ISBN 978-4-06-535042-3
総ページ数 255p
北辻󠄀利寿
CBCテレビ論説室・特別解説委員。
JNNウィーン特派員、報道部長、報道局長、論説室長などを経て、現職。
東京ニュース通信社
- はじめに
- 第一章 「世界に誇る!ニッポン生まれ。その誕生の物語」
- あんぱん(井村屋總本店)
- 胃カメラ(オリンパス)
- ウィルキンソン(アサヒ)
- EDWIN(常見米八商店)
- お子様ランチ(日本橋三越)
- オセロゲーム
- カーナビ(HONDA)
- 角膜コンタクトレンズ(メニコン)
- カッターナイフ(オルファ)
- カニカマ(スギヨ)
- 乾電池
- 消せるボールペン(パイロットコーポレーション)
- ごきぶりホイホイ(アース製薬)
- コロコロ(ニトムズ)
- 自動改札機(オムロン)
- シャープペンシル(シャープ)
- 修正テープ(シード)
- 食品サンプル(いわさき)
- 大学ノート(コクヨ)
- 使い捨てカイロ(ロッテ)
- 点字ブロック/ドリア(ホテルニューグランド)
- ハンドドライヤー(三菱電機)
- ビーチサンダル(内外ゴム)
- ビニール傘(ホワイトローズ)
- プラスチック消しゴム(シード)
- マッサージチェア(フジ医療器)/レトルトカレー(大塚食品)
- 第二章 「モノづくりへの熱い思い。ニッポンが進化させた品々の物語 戦前編」
- 板ガラス(AGC)
- 鉛筆(三菱鉛筆)
- 缶詰
- 口紅(伊勢半)
- シューマイ(崎陽軒)
- 石けん(花王)
- セーラー服(金城学院)
- セロテープ(ニチバン)
- 体温計(テルモ)
- 段ボー(レンゴー)
- 長靴(伊藤ウロコ)
- 入浴剤(バスクリン)
- 歯ブラシ(ライオン)
- ピアノ(ヤマハ)
- ヘアドライヤー(Panasonic)
- ヘルメット(谷沢製作所)
- 魔法びん(象印マホービン)
- マヨネーズ(キューピー)
- 万年筆(パイロットコーポレーション)
- ミルクチョコレート(森永製菓)
- 洋式トイレ(TOTO)
- 第三章 「モノづくりへの熱い思い。ニッポンが進化させた品々の物語 戦後編」
- エレキギター(フジゲン)
- オルゴール(二デックインスツルメンツ)
- キットカット(ネスレ日本)
- グミ(明治)
- 軍手(島精機製作所)
- コインランドリー
- ジェットコースター(後楽園ゆうえんち)
- 瞬間接着剤(東亜合成)
- 食品用ラップ(クレハ)
- ストッキング(アツギ)
- 注射針(テルモ)
- つけまつげ(コージー本舗)
- 電気シェーバー(Panasonic)
- 電卓(シャープ)
- トマトケチャップ(カゴメ)
- プラネタリウム(コニカミノルタ)
- ホッチキス(マックス)
- 肉まん・あんまん(井村屋グループ)
- ノンアルコールビール(キリンホールディングス)
- マジックインキ(寺西化学工業)
- マスキングテープ(カモ井加工紙)
- 参考文献・取材協力一覧
- おわりに
紹介文
本書は、日本が世界に誇るべき多くの「初」を成し遂げた商品や技術にスポットを当て、それらを生み出した人々のドラマを紹介しています。
著者は、これらの製品がどのようにして開発され、どのように市場で成功を収めたのかを詳細に解説しており、読者はそれぞれの開発者の熱意や困難に直面した際の解決策に感銘を受けるでしょう。例えば、世界で初めてのインスタントラーメンやポータブルカセットプレーヤーなど、日常生活に革命をもたらした製品がどのような経緯で作られたのかが明かされています。
それぞれの開発者が直面した挑戦と、それを乗り越えるために彼らが示した創造的な解決策を通じて、革新の本質とは何か、そしてそれを通じてどのように社会が形成され変化していくのかを掘り下げています。
技術開発が単なる商業活動以上のものであり、文化や社会にどう影響を与えるかを考えさせられる内容となっています。これらの「初めて」の物語は、単に過去を振り返るのではなく、未来の革新を夢見る現代のクリエイターたちにとっても、大きな刺激となるでしょう。
日本が世界に誇る革新的精神を持つ国であることを改めて認識し、それぞれの分野で何が可能かを再評価するきっかけを得ることができるでしょう。それぞれの製品開発物語は、技術の進歩だけでなく、人間の創造性と持続可能な発展の可能性をも照らし出しています。
試し読み
大学ノート
「大学ノート」の由来は明治時代まで遡ります。当時、現在の東京大学として知られる東京開成学校の近くにあった文具店が始めたとされています。
海外から帰国した教授のヒントで、洋紙を使ったノートが作られました。ノートの各ページには横罫線が引かれており、それによって文字を真っすぐに書くことが可能になりました。
このノートは東京大学の前で販売されていたことから「大学ノート」と名付けられました。シンプルでわかりやすい名前ですが、1冊1500円もする高価なもので、多くの学生にとって手が届かないものでした。
その大学ノートに目を付けたのは、和紙の帳簿の表紙を製造していた「黒田表紙店」の黒田善太郎です。帳簿の分厚い表紙だけをつくっていましたが、内部のページも製造するようになり、紙製品メーカーとしての地位を確立していきました。
最初の大学ノートの開発は続き、16年の歳月が流れ「Campus」というブランドに変わりました。より使いやすさの向上を目指し、ペン先が絶妙に引っ掛かるように製造時の圧力を調節し、インクが紙の繊維に浸透する加減の薬剤の配合を研究したのです。ノートには使う人が使いやすいように罫線が入っています。
「大学ノート」への強い想いは、後に続いたメンバーに受け継がれ、「黒田表紙店」の現在の会社名は「コクヨ株式会社」国の誉れになろうという思いから「国誉」と黒田が命名しました。
「Campusノート」は年間1億冊を売り上げるほど人気の「大学ノート」に成長を遂げています。
体温計
体温計は17世紀初頭のイタリアで生まれたと伝えられています。この時、水を入れた容器に熱を加えると水位が上昇する原理を利用して体温を測定する方法が発見されました。これが世界初の「体温計」とされています。
やがて、この体温計は日本にも伝わりました。国産の水銀体温計の製造も始まりましたが、初期は依然として輸入品が重宝されていました。しかし1914年(大正3年)に第一次世界大戦が始まると、ヨーロッパからの輸入が滞りました。
東京の本所区にあった「竹内製作所」という町工場では、約20人の社員が水銀体温計を製造していました。竹内は、水銀体温計の目盛りが見にくいという欠点を改善するために、細いガラス管の中に赤い線を引く工夫をしました。
この竹内の体温計の量産には、近代日本医学の父とされる北里柴三郎も関与しました。やがて、ガラスが冷めないうちに体温計を形成する独自の機械が開発され、水銀体温計の量産体制が整いました。
太平洋戦争中の1945年(昭和20年)に東京大空襲によって工場一帯は焼け野原になりましたが、一部の土蔵が残り、製造途上の体温計約37万本が無傷で保管されていました。戦後の復興期には体温計の需要が急増し、これが復興への強い歩みを支えました。
「体温計」の開発は続き、1983年(昭和58年)には環境に優しい「電子体温計」が登場しました。水銀体温計と比べて落としても破損しにくく、計測時間も大幅に短縮され、わずか20秒で測定できるようになりました。
日本製の「体温計」は進化を続け、今では海外へも広く輸出されています。
キットカット
受験シーズンになると、「きっと、桜が咲くよ」と励まされる赤いパッケージの「キットカット」が多くの受験生に支持されています。このイギリス生まれのチョコレート菓子は、日本で飛躍的な成長を遂げました。
1935年、ロントリー社が工場で働く人々が休憩時間に手軽に食べられるよう、ウエハースをチョコレートで包んだ菓子を開発しました。1973年、不二家が初めて日本で輸入キットカットを販売しました。
1988年にスイスのネスレ社がロントリー社を吸収合併し、キットカットはネスレの商品となりました。翌1989年からは、国産向けのキットカットの開発が始まりました。最初に発売されたのは、甘さを抑えたストロベリー味でした。北海道限定で発売され、好評を博しました。
コンビニエンスストアが2か月ごとに商品棚を入れ替えるため、新しいフレーバーが次々と登場しました。ブドウ、マンゴー、スイカ、レモン、ゆず、きなこ、味噌、日本酒、唐辛子味など、その種類は450にも及びます。
現在、地元の名産品を取り入れたご当地キットカットが人気で、20種類があります。風味や食感にこだわり、日本を訪れる外国人観光客が主にお土産として購入しています。
日本のキットカットは、素材や製法にこだわり、ウイスキー樽で熟成させたカカオを使ったビターチョコ味を発売するなどの進化が続いています。
電卓
昭和の時代、多くの小学生がそろばん塾に通っていました。しかし、昭和40年代に入ると、算盤を使わなくても簡単に計算できる「電卓」が登場しました。
世界で最初の「電卓」はイギリスで生まれました。ベル・パンチ社が1961年にロンドンで開催されたビジネスショーで出品したところ、その重さ14キロの大型機器に感嘆の声が上がりました。
この「電卓」に注目したのは、シャープペンシルを開発した早川電気工業株式会社、後の「シャープ株式会社」です。彼らは手軽に使える電卓の開発に取り組みました。
アメリカから「LSI(大規模集積回路)」を輸入し、1969年(昭和44年)には世界初のLSI電卓を発売しました。この電卓は手のひらサイズで使用できるようになりました。
さらなる改良として注目されたのは「液晶」でした。海外ではすでに液晶ディスプレーが開発されていましたが、これを電卓に応用するための研究が進められ、透明な膜やガラス板のシールを使って、単三電池の厚さまで薄くしました。
今ではクレジットカードサイズにまで小さくなり、財布に収まるほどです。仕事場でも家庭でも「電卓」は身近なツールとなっています。