※読んだ本の一部を紹介します。
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
はじめに
この本は「弱さ」に苦しむ「男」たちのために書きました。
弱さに苦しむ「男」たちの声にならない声たちよ、叫び声よ、巻き起これ。響き渡れ。
まっくらな不幸たちよ、この地上に星座を描け。
「男」たちよ、水子たちの産声のように、泣き喚け。
目次
書籍情報
タイトル
男がつらい!
資本主義社会の「弱者男性」論
著者
杉田俊介
批評家。
自らのフリーター経験をもとに、『フリーターにとって「自由」とは何か』を刊行したりしています。
出版
ワニブックス「PLUS」新書
「弱者男性」とは誰のことか?
弱者の基準
●仕事の収入のこと、あるいは労働の非正規雇用のこと
●「キモい」と言われるような容姿の美醜の問題
●「コミュ障」などのコミュニケーション能力の問題
●発達障害やメンタルの病などの問題
●現実に恋人に恋人や結婚相手などのパートナーがいるかどうか
上記であげた「弱者の基準」は炎上ツイートから拾ったもののようです。
現実的には、いくつかの要素が重なって「弱者性」が定義されることのほうが多いのかもしれません。
しかし、基準がはっきりと区別されておらず、論者ごとに「弱者」の定義がことなるため、議論や論争をしても中々うまく話がかみ合いません。
ツイートされた悪い言葉ばかりがインフレし、誤解や憎悪が膨らんでいくケースが多いのです。
だらだら楽しんでいい
おっさんの楽しみ
志の低いおじさんたちが、美味しいご飯を食べたり、旅行や観光をしたり、趣味を共有したり、スーパー銭湯にいったり、一緒に部屋でダラダラまったり過ごしたりするのを楽しんでもいいではないですか。
近年、多数派の男性として「おじさん」の無自覚さや差別意識が批判されることが多くあります。
おじさんの対象は、結婚しておらず、恋人もいず、特にエリート社員でもなく、イケメンでもない、冴えない、中年の地味なおじさんです。
光の当たる冴えた人生ではないし、華々しくもない。けれど、それなりに趣味あって楽しいとか、気の合う中年の仲間がいてそれで満足とか、誰からも承認されなくてもささやかな満足があればそれでいいとか、そういう人生の形はテレビドラマなどでよく放送されています。
そういった、ゆるやかで肯定的な人生のモデルは、あまり受け入れられていないのかもしれません。
草食系男子、オタクなどの幸福モデルなどと一緒で、そこそこ幸福な人生モデルがあっても良いのではないでしょうか。
階級脱落者としてのジョーカー
映画『ジョーカー』の主人公
主人公アーサーは弱者男性を象徴するような存在の1人でした。物語が進むにつれて、ジョーカーとして覚醒し、無差別に人を不幸にしていきます。
彼がそうなった原因として、描かれる人間的な部分には、親に虐待されたとか、コメディアンに晒し者にされたとか、傷つけられ醜い顔になってしまったとか、いくらでも共感できるものがあるのです。
けれども、彼の犯罪には、理由も動機もありません。
階級闘争を夢見たくても、それを決して夢見ることができない人は、妄想に生きるかアーサーのように闇落ちするしかないのでしょうか。
貧しい労働や介護、孤独の中で、へとへとに疲れて、「残りもの」として生きていかなければならないのでしょうか。
セルフケアが必要だ
期待される男らしさ
心身の傷や痛みに配慮せず、黙ったまま耐えることが男らしさの規範という時代もあったのです。
社会的なタテマエを要求され、傷ついた心が隠されています。必要な手当てをしないまま、男たちは周囲の女性に癒してもらうことを、期待してしまうときがあるのです。
溜まりに溜まったうっ憤は、暴言暴力になるかもしれません。
日々、感情や不安を小出しにし、部分的にガス抜きするような関係性も大切です。人前で涙をみせられること。自分の弱さを受け入れられること。「男らしく」我慢などせずに、嫌いなものは嫌い、つらいものはつらい、と他者の前ではっきり口にできること。自分より弱い立場の人間に感情をぶつける前に、内側のケアが必要なのだと思います。
感想
サイト管理人
幸せの形は、人それぞれです。意識が低くても、非正規労働者でも、周りの人と違くても、「キモい」ことはありません。
気軽に発した言葉でも、「キモい」は、かなりのパワーワードなので周囲の方には口が悪いと思われています。
何となく生きて、シャワー上がりに食べる安いアイスの時間が生きがいでも良いではないですか。傍から見て寂しく感じても、本人とってはどうかは察することができません。
「働き盛りだから、もっと稼げばいいのではないか」こんな事は、本人が決めればよい事です。今だに、言われる人が多いと思います。
自分と違った価値観を知るうえで、弱者男性以外の方も読んでみてはいかがでしょうか。