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目次
書籍情報
人はどう死ぬのか
発刊 2022年3月16日
ISBN 978-4-06-527719-5
総ページ数 224p
久坂部羊
小説家・医師。
大阪大学医学部付属病院で外科、大阪国際がんセンターで麻酔科医、など医師として経験をつみ、2003年に作家デビュー。2014年『悪医』で日本医療小説大賞を受賞し注目をされました。
KODANSHA
シリーズ:講談社現代新書
- はじめに
- 第一章 死の実際を見る、心にゆとりを持って
- 死を見る機会
- 死の判定とは
- 死のポイント・オブ・ノーリターン
- 看取りの作法
- 死に際して行う「儀式」
- 死には三つの種類がある
- 脳死のダブルスタンダード
- 第二章 さまざまな死のパターン
- はじめての看取り
- 悲惨な延命治療
- 延命治療はいらないと言う人へ
- 延命治療で助かることも
- 江戸時代のような看取り
- 在宅での看取りの失敗例
- 望ましい看取り
- 在宅での看取りに対する不安とハードル
- 死を受け入れることの効用
- 第三章 海外の「死」見聞録
- 人生における偶然
- 外務省に医務官に転職
- サウジアラビア人外科部長との対話
- イエメンの死の悼み方
- ウィーン「死の肖像展」
- 死に親しむ街ウィーン
- オーストリアのがん告知
- 後進性故に進んでいたハンガリーの終末期医療
- 「死を受け入れやすい国民性」
- パプアニューギニア
- 進んだ医療がもたらす不安
- 呪術医が知る死に時
- 第四章 死の恐怖とは何か
- 人はどんなことにも慣れる
- 15歳男子の悩み
- 死ねないことの恐怖
- それでも怖いものは怖い
- 死の恐怖は幻影
- 死戦期の苦しみは
- 第五章 死に目に会うことの意味
- 死に目に間に合わせるための非道
- 非道な蘇生処置の理由
- 「先生、遅かったぁ」という叫び
- 〝エンゼルケア〟という欺瞞
- 看取りのときの誤解
- 死に目に会わせてあげたかったことも
- 死に目より大事なもの
- 死に目を重視することの弊害
- 第六章 不愉快な事実は伝えないメディア
- ウソは報じないけれど、都合の悪いことは伝えない
- 〝人生百年時代〟の意味
- 「ピンピンコロリ」を実践するには
- 達人の最期富士正晴氏の場合
- 人気の死因、一位はがん
- がんで死ぬことの効用
- 私の希望する死因
- 第七章 がんに関する世間の誤解
- 余命の意味
- 新戦略=がんとの共存
- がんの治癒判定の誤解
- 日本でがんの告知ができるようになった理由
- 誤解を与えるがんの用語
- 否定しにくい「がんもどき理論」
- がんの診断は人相判断?
- タブーの疑問
- 第八章 安楽死と尊厳死の是々非々
- 安楽死と尊厳死のちがい
- 賛成派と反対派の言い分
- 安楽死・尊厳死に潜む弊害
- 海外の安楽死事情
- ウィーンの病院で起きた慈悲殺人事件
- 日本での安楽死・尊厳死事件
- タマムシ色の四要件
- 安楽死法は安楽死禁止法にもなり得る
- 安楽死ならぬ苦悶死の現実 思いがけないことが起こる本番の死
- 人間関係による発覚
- 画期的だったNHKのドキュメンタリー
- 番組には強い反発が
- 第九章 上手な最期を迎えるには
- 〝上手な最期〟とは何か
- 病院死より在宅死
- メメント・モリの効用
- ACP=最期に向けての事前準備
- 「人生会議」ポスターの失敗
- 救急車を呼ぶべきか否か
- 胃ろうの是非
- 「新・老人力」のすすめ
- コロナ禍で露呈した安心への渇望
- 求めない力
- 最後は自己肯定と感謝の気持ち
- おわりに
- 参考文献
はじめに
だれもが人生に満足を感じながら、安らかな心持で最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。
日本では公に惨い映像を報道されることはありません。悲惨な現実を隠すことで、人はなんとなく安心し、危機に対する備えを忘れてしまいます。
家族や自分の死が目の前に迫ったとき慌てて混乱し、結果的に下手な最後を選んでしまうひとが少なくありません。
最良の死に方を選ぶには、やはり死の実際を知ることが大切でしょう。
延命治療はいらないと言う人へ
医療が進んで、死を押しとどめる治療ができるおかげで、助かる人も増えた代わりに、助からない場合は悲惨な延命治療になっていまいます。
死を押しとどめる医療が、いかに悲惨な状況を作り出すかということが、徐々に世間に伝えられるようになって、無駄な延命治療に対する否定的な印象が広がりました。
好ましい状況にするには、尊厳死しかありません。日本では気管チューブを抜くなどの尊厳死は合法化されていないのです。実際に尊厳死をするとなると、家族も医療者も大変なストレスを感じます。命が失われるわけですから、決断に迷うのは当然です。
尊厳死や治療の中止は、確実に本人のためになることですから、前々からしっかりと考えておく必要があると思います。
延命治療で助かることもあります。点滴で投与された止血剤が、奇跡的に効いて元気を取り戻すこともあるのです。それから、半年ほと生きて、2番目の孫の誕生を見ることができました。延命治療が上手くいき大いに戸惑ったことを覚えています。
怖いものは怖い
死ねないことの恐怖を頭で理解したとしても、死の恐怖を和らがないでしょう。
大脳辺緑系の偏桃体の活動が低いと、不安や恐怖を感じにくい脳になるようです。偏桃体が活動しやすい人は、いくら理屈で説明しても恐怖を抑えられないでしょう。
準備をしようにも、死ぬことは考えたくもないと思うようです。それに反して、健康情報は大好きでしょう。
だからといって、放置していると、肉体的にも精神的にも苦しみながら過ごさないといけなくなります。
日本でがんの告知ができるようになった理由
患者へのがんの告知はハードルの高いものでした。患者うつ病になったり、自殺しかねない状況にあったからです。
そんな状況が変わったのは、有名人のがんのカミングアウトなどがあり、世間ががんでも死なないという印象を持ち始めたからだと思います。
しかし、がんの再発などの報道も影響があるようで、がんの治療もやり過ぎたら恐いという印象があるようです。
有名人が亡くなるときや、復活したときは強い印象があります。
ACP
延命治療で助かる可能性があるかどうかは、やってみなければわからないものです。確実に助からないならもちろん治療しません。
悲惨な延命治療をしてほしくないのは、誰もが思っています。だから、ご本人の希望を尊重しようというのが、医療者側の姿勢になっています。しかし、家族が治療を望む場合が、困りものです。本人と家族の間で意見が不一致だと、医療者はどちらに従っても恨まれることになります。
それを避けるためにACPがあるのです。
ACPは「死に方計画」と言えます。命が伸びても僅かの余命しか得られなかったり、死を恐れていないほどの年齢になったときに、肋骨が折れる心臓マッサージや口から金具とチューブを突っ込まれ、尿道に突っ込まれてまで生きたいかどうかを想像してほしいです。
老人ホームにお世話になっており、意識がなくなったときに、救急車を呼ばれて緊急措置をして欲しいかどうか、食欲もなくなりらかに眠むれるというときに点滴を打たれて倦怠感と痛みを延長してほしいのでしょうか。
家族に伝える手段としても、自分の最期を考えておいたようがよいでしょう。
また、自分の家族の場合でも、自分ごととして考えておくのがよいと思います。