HOEIZONS科学文明の起源/著者:ジェイムズ・ポスケット

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書籍情報

タイトル

科学文明の起源

近代世界を生んだグローバルな科学の歴史

発刊 2023年12月19日

ISBN 978-4-492-80095-9

総ページ数 450p

著者

ジェイムズ・ポスケット

ウォーリック大学准教授。科学技術史が専門。
インドの天文台からオーストラリアの自然史博物館まで、世界各地を調査のために訪れています。

出版

東洋経済新報社

もくじ

  • はしがき_近代科学の起源
  • 第1部 科学革命 1450年頃~1700年頃
    • 第1章 新世界との出会い
      • 新世界の博物学
      • アステカの医学
      • 人類の発見
      • アメリカの地図を作る
      • まとめ
    • 第2章 天文学の興隆
      • 古代文書の翻訳
      • ルネサンス期ヨーロッパにおけるイスラム科学
      • オスマン帝国のルネサンス
      • アフリカの天文学者
      • 北京の天文学
      • インドの天文台
      • まとめ
  • 第2部 帝国と啓蒙 1650年頃~1800年頃
    • 第3章 ニュートンの発見を導いたもの
      • ゴレ島での振り子の実験
      • インカの天文学
      • 太平洋の航海者たち
      • ロシアにおけるニュートン科学
      • まとめ
    • 第4章 経済のための博物学
      • 奴隷制と植物学
      • 東インドの自然史
      • 中国の飲み物
      • 江戸時代の日本における自然の研究
      • まとめ
  • 第3部 資本主義と紛争 1790年頃~1914年
    • 第5章 進化論と生存競争
      • アルゼンチンの化石ハンター
      • ロシア帝国の進化論
      • 明治時代の日本と「生存競争」の概念
      • 清朝中国における自然選択説
      • まとめ
    • 第6章 ナショナリズムと国際主義
      • 戦争とロシア帝国の科学
      • オスマン帝国の工学
      • 植民地インドにおける科学と産業の発展
      • 明治の日本の地震と原子
      • まとめ
  • 第4部 イデオロギーと戦争の余波 1914年~2000年頃
    • 第7章 政治の時代の物理学
      • 革命後のロシアの物理学
      • 中国におけるアインシュタインの相対論
      • 日本の量子力学
      • 物理学と帝国との闘い
      • まとめ
    • 第8章 冷戦と遺伝学
      • メキシコにおける「緑の革命」とヒト遺伝学
      • 独立後のインドにおける遺伝学の発展
      • 毛沢東のもとでの京さん主義的な遺伝学
      • イスラエルと集団遺伝学
      • まとめ
  • エピローグ_科学の未来
  • 謝辞
  • 原注
  • 図版出典
  • 口絵出典
  • 索引

人類の発見

 1520年6月、アメリカ大陸最南端でイタリア人探検家は「巨人」と遭遇したのです。

 現在のアルゼンチンにある、サンフリアン港と名付けた港に停泊して、突然海岸に図体のでかい裸の男が現れて歌って踊ったといいます。ピガフェッタはその男の慎重を240㎝と見積もったのです。

 このような新世界の民族がヨーロッパに広まり、多くの探検家がアメリカから力ずくでスペインに連れてきました。コロンブスもカリブ諸島の住民を6人捕らえ、1493年にスペインの王妃イザベラと王フェルディナンドの宮廷に献上しています。

 アメリカに先住民が暮らしていたことが明らかとなり、ヨーロッパ人は人類の本質をめぐる深刻な疑問を抱くようになりました。彼らは人間なのか?それとも怪物なのか?聖書の教えとおりアダムの子孫なのか?新しく創造されたものなのか?

 新世界の発見は人類の発見にもつながったのです。

江戸の自然研究

 徳川吉宗は、日本の今後の経済や政治に懸念を抱いていて、自然界や動物の研究によって繁栄の道が開かれるかもしれないと考えていました。鎖国政策の影響で貿易赤字に苦しんでいたので、重大な関心ごとだったのです。

 吉宗は動植物、金属、鉱物、宝石の調査を報告するように求めました。吉宗の見立て通り、日本には驚くほどの大量の自然資源があり、中でも銅と樟脳油はヨーロッパの貿易会社が是が非でも買いたがる産物だったのです。

 吉宗は各地の植物園、江戸郊外にある小石川植物園の拡張も支援しました。外来種が植物園で育てられるようになり、サツマイモ、チョウセン人参は輸入品から輸出品に変わったのです。

明治の日本の地震と原子

 1891年10月28日、日本は国内史上最大の地震に見舞われました。7000人以上が命を落とし、10万人以上が家を失って、本州太平洋岸の大部分の地域が廃墟と化したのです。

 明治維新によって日本社会は一変しており、工業化と都市化によって人口が密集していたため、多くの被害がでました。都市をつなぐ鉄道や電信線が自身で破壊されたのです。

 ほとんどの地震学者は地質学の観点が地震について考えていましたが、田中舘は海外留学のときの知識を活かして電磁気学の観点から考えることにしました。地磁気調査は結果的に正しかったのです。1893年に地震によって「磁気状態の変化」が引き起こされることがハッキリと示されています。

 この磁気調査の影響を受けて、原子の物理に関する考え方を長岡半太郎は思いつきました。電磁波が原子核と相互作用すると何が起こるのかを突き止めたのです。

 原子の原理を突き止めたのはイギリスの物理学者アーネクト・ラザフォードであるとされ、ヨーロッパ以外の科学者が歴史が消されています。ラザフォードが発表したのは、長岡が論文を発表してから、ずいぶんと経ってからのことです。

 日本は19世紀末の科学の世界で大きな一翼を担っていたのは事実で、第一次世界大戦後には大きな科学力、軍事力、産業力を持つこととなりました。

独立後のインドの遺伝学

 1925年に小さな寺町クンバコナムで生まれたスワミナサンは、のちに世界を代表する植物遺伝学者の一人となり、インドに緑の革命をもたらします。

 スワミナサンは20代で、国を養うためには植物遺伝学の研鑽を積む必要があると気づきました。1950年にイギリスに渡り、ケンブリッジ大学で博士研究を始めています。

 アメリカにも渡り研究を続けていて、教職になる誘いを受けていたのですが、遺伝学を学ぶ理由は「インドで十分な食料を生産する」ためです。後に、収穫量が多く、インドの土壌や気候に適した交配種を作り出しました。

 その交配種は赤い小麦粉となっていて、インドの消費者に受け入れられなかったが、ディルバー・シン・アスワルがX線を使った遺伝子操作で金色の小麦粉を作るのに成功して、インド政府は1960年末に農業計画の規模拡大に乗り出しています。

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