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目次
書籍情報
アジア人物史 第12巻 アジアの世紀へ
発刊 2024年4月30日
ISBN 978-4-08-157112-3
総ページ数 1045p
姜尚中
東京大学名誉教授。
集英社
- 第1章 朝鮮戦争 2つの敵対国家、同一民族内の戦争
- 金日成
- 朴憲永
- 李承晩 ほか
- 第2章 独裁と民主の相克
- 金大中
- 朴正熙 ほか
- 第3章 中国「改革開放」の総設計師
- 鄧小平 ほか
- 第4章 台湾の民主化と本土化
- 李登輝 ほか
- 第5章 今も「生きている」香港のヒーロー
- ブルースリー ほか
- 第6章 ダライ・ラマ14世とその家族の群像 20世紀のチベット
- ダライ・ラマ14世 ほか
- 第7章 冷戦と権威主義的独裁体制の成立
- ホー・チ・ミン
- ノロドム・シハヌーク
- リー・クアンユー
- マハティール・モハマド
- フェルディナンド・マルコス
- スハルト
- ネー・ウィン ほか
- 第8章 冷戦期の「熱戦」、ベトナム戦争
- レ・ズアン
- ゴ・ディン・ジェム ほか
- 第9章 独立インドの国民国家建設 「世界最大の民主主義」の挑戦
- ジャワーハルラール・ネルー ほか
- 第10章 ジハードの遂行をめぐって 冷戦と代理戦争、内戦、対テロ戦争
- ブルハーヌッディーン・ラッバーニー
- グルブッディーン・ヘクマティヤール
- ムッラー・ムハンマド・ウマル ほか
- 第11章 大国支配に抵抗する新時代の幕開け イラン・イスラーム政治運動の展開と葛藤
- ホメイニー ほか
- 第12章 ナセルの遺産 現代アラブ先生体制の起源
- ナセル ほか
- 第13章 パレスチナ解放を目指した指導者
- ヤセル・アラファト ほか
- 第14章 アジアの経済発展モデル日本 高成長導入部 日本資本主義(第二次世界大戦後)
- 石坂泰三 ほか
- 第15章 野坂参三と宮本顕治
- 野坂参三
- 宮本顕治
- 第16章 戦後日本の保守政治家たち
- 岸信介
- 吉田茂 ほか
- 第17章 戦後民主主義の成立と蹉跌をめぐって
- 丸山真男 ほか
- 第18章 日本漫画史の光と影
- 水木しげる ほか
- 第19章 近代のアイヌ民族の足跡 セトラー・コロニアリズムへの対抗
- 知里幸恵 ほか
- 第20章 戦後沖縄の抵抗と自治への模索
- 太田昌秀 ほか
書籍紹介
アジアの歴史と文化を紐解くための一大プロジェクト、集英社の『アジア人物史』シリーズ。その最終巻となる第12巻『アジアの世紀へ』は、総監修を姜尚中氏が務め、アジアの未来を見据えた視点からの人物史が描かれています。
概要とテーマ
『アジアの世紀へ』は、近代から現代に至るまでのアジアの変革と成長を象徴する人物たちに焦点を当てています。20世紀後半から21世紀にかけて、アジアは経済、政治、文化の各分野で飛躍的な発展を遂げてきました。本書は、その背景にある人物の物語を通じて、アジアの未来像を描き出します。
注目すべき人物とエピソード
本書で取り上げられる人物は、各国のリーダーや思想家、経済界の先駆者など多岐にわたります。例えば、中国の改革開放を主導した鄧小平、インドの経済改革を進めたマノモハン・シン、韓国のデジタル革命を牽引した李健熙など、現代のアジアを形成する上で重要な役割を果たした人物たちのエピソードが詳細に描かれています。
それぞれの人物がどのようにして困難を乗り越え、現在のアジアの繁栄に貢献したのか、その背景にある思想や戦略、個人の葛藤と成長の物語は、読者にとって非常に魅力的であり、学びの多い内容となっています。
アジアの未来を見据えて
本書は過去の偉業を称えるだけでなく、アジアが直面する現代の課題と未来への展望についても深く考察しています。アジアが今後どのような方向に進むべきか、持続可能な発展を遂げるためには何が必要かといった問いに対する洞察が提示されています。
試し読み
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
鄧小平 中国革命と毛沢東からの信頼
人類を世界革命に導くため、共産党は革命家に私情を捨てた貢献を求めました。先聖はその後、四川の実家に一度も帰らず、組織のために行動し、毛沢東と出会いました。
1923年、孫文がソ連からの支援を受けて第一次国共合作が始まりました。先聖は、ソ連が中国人幹部を養成するために開いた中山大学に入学し、蒋経国(蒋介石の息子)と机を並べて、マルクス主義文献やソ連共産党史などを1年ほど学びました。
1927年初頭、陝西省の国民党系軍人の下で働いていた時、第一次国共内戦が勃発しました。先聖は上海で地下活動に参加し、警察の摘発を逃れながら、変装して偽名を使う生活を余儀なくされました。このころから先聖は小平と名乗るようになります。
鄧小平は1929年に党の指示で広西省に赴き、根拠地(共産党の基地)を構築しようとしました。しかし、初めての軍事作戦は地元軍人の反撃に遭い失敗しました。上海に戻ると、幼馴染の妻が妊娠していましたが、不衛生のため感染症で亡くなっていました。子供も後を追いました。1年後、彼は別の革命家と再婚します。
江西の革命根拠地は、毛沢東が常識破りの戦法で切り開いた場所です。そこで共産党は内部で路線対立を起こしていました。根拠地を労働者の多い都市に向けて発展させるか、マルクス主義の教義を無視して農村で力を蓄えるかで仲間割れしていたのです。毛は後者のやり方を主張し、鄧も彼を支持しました。
鄧は多くの批判を受け失脚し、妻にも見捨てられましたが、毛は彼が党員の批判の矢面に立った姿を評価していました。
1935年1月、共産党は貴州省の遵義で会議を開き、コミンテルンの意向を退け、毛に部隊の指揮権を与える決定をしました。以後、毛は最高司令部に加わり、徐々に権力を掌握していきます。この間、鄧はプロパガンダ工作などに従事し、毛と親交を深めました。
1945年の日本の敗戦は共産党に好機をもたらしました。日本軍が撤退した旧満州を攻略し、国民党軍に勝利していきました。国民党軍は南方に退避し、やがて台湾に逃げました。政権移行期において、国民党の残党勢力を粉砕し、鄧の役割も軍人から官僚へ、官僚から政治家へと変化しました。
彼は、毛の有力な後継者の1人として党の日常業務を取り仕切るようになりました。
リー・クアンユー 開発独裁体制の構築
シンガポールは天然資源を持たず、マレーシアとの分離・独立に伴う摩擦により、両国の関係は良好ではありません。リー・クアンユーは、軍事的に脆弱なこの小さな都市国家を生存・繁栄させるために、人民行動党の一党支配体制のもとで労働組合、学生運動、マスメディアなどを取り締まる法律を制定しました。また、与党が絶対に有利となる選挙制度も構築しました。
教育面では、英語を第一言語、民族の母語(マレー語、タミル語)を第二言語としてシンガポール人に義務付けています。さらに、治安維持のため、独立後には「共産主義者」の取り締まりも頻繁に行われていました。
圧倒的な政治的コントロールに加えて、経済面でも大きな役割を果たしています。住宅、保険、公共輸送、通信などは国家にとって重要な事業と位置づけられ、多くの政府系企業がこれらを独占しています。政府系企業は外国企業との合弁事業を進め、製造業、金融、サービス、貿易など幅広い分野に資本を投入し、経営責任を担っています。
このような強力な政治支配のもと、「民主社会主義」というスローガンのもとで経済発展を優先し、現在のシンガポールが築かれました。「拷問された」といった誇張された非難があれば、宗教関係者や活動家であろうと、国は容赦なく逮捕する権限を持っています。
マハティール・モハマド
マハティールの政治思想は、マレー人・ブミプトラの自立と地位向上を推進し、多民族が帰属意識を共有できるマレーシア国民の形成を目指すことにあります。彼は、ブミプトラが経済成長の推進役となることを理想としています。このため、多様なマレーシア国民を運命共同体と意識させる努力を続け、多様な国民からも比較的好意的に受け入れられています。
経済開発においては、国家主導型の資本主義経済を通じた成長を追求しています。輸出志向型工業化や外資導入を積極的に推進し、マレーシアは新興工業国へと成長しました。行政都市プトラジャヤや情報都市サイバージャヤの開発、クアラ・ルンプールのペトロナス・ツイン・タワーの建設など、巨大プロジェクトを推進しています。しかし、十分な経済成長を達成する前に政変による政権交代を迎えました。
自由と民主主義に関しては、文化と安定を重視しつつ、西洋の要素を取り入れています。対外関係においても「発展途上国」や「イスラーム世界」の一員として国際秩序に関与しています。日本や韓国と緊密な関係を築きつつ、中国とも友好関係を保とうと努めました。東アジア経済コーカス(EAEC)構想は実現しなかったものの、ASEANなど別の形で協力関係を構築しています。一方で、先進国が求める高水準の規制には反発しています。イスラームに関わるパレスチナ問題では、イスラエルやアメリカを批判しましたが、貿易・投資・テロ対策などの利害が一致する場合は、アメリカやイギリスの政府や企業とも積極的に協力する姿勢を示しています。
マハティールの思想と行動には光と影の両面がありますが、バランス感覚に優れた政治家として広く記憶されることでしょう。