明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか/著者:福島聡

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※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。

書籍情報

タイトル

明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか

発刊 2024年2月20日

ISBN 978-4-907623-67-8

総ページ数 444p

著者

福島聡

1982年2月ジュンク堂書店に入社。仙台店店長、池袋本店副店長を経て難波店店長。

出版

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もくじ

  • Ⅰ 明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか
    • 第1章 「アリーナ論」の発端
    • 第2章 『NOヘイト!』フェア顛末記
    • 第3章 「歴史の抹消」の抹消
    • 第4章 歴史修正主義とベストセラー   
  • Ⅱ ただ嘆くだけで、終わってしまったのではないだろうか
    • 第5章 討議と敵対
    • 第6章 敵側の言説
    • 第7章 対峙姿勢
    • 第8章 書店の棚と民主主義   
  • Ⅲ その本はなぜ、多くの人を惹きつけるのだろうか
    • 第9章 書店を襲う「非日常」
    • 第10章 「正義」の争い
    • 第11章 公開対決の場   
  • Ⅳ 「わからない」は、何を意味するのだろうか
    • 第12章 負の歴史との対峙
    • 第13章 沖縄の戦後史を学ぶ
    • 第14章 差別の相対的構造   
  • Ⅴ やはり発端は、「自分探し」ブームだったのだろうか
    • 第15章 アイデンティティがもたらすもの
    • 第16章 『脱アイデンティティ』と『自我同一性』を読み返す
    • 第17章 「アリーナとしての書店」の条件
    • 第18章 『スマートな悪』との出会い
    • 第19章 歴史戦、思想戦、宣伝戦   
  • Ⅵ 弱者攻撃の動機は、どこから来るのだろうか
    • 第20章 書店を「言論のアリーナ」と呼ぶ所以
    • 第21章 書店という生業の存在理由
    • 第22章 名もなき人々の歴史を伝える著作
    • 第23章 反差別の発信   
  • Ⅶ ヘイトスピーチ・クライムの厳罰化は、なぜ進まないのだろうか
    • 第24章 『ヘイトスピーチはどこまで規制できるか』を読む
    • 第25章 『刑法入門』で考えるヘイトクライム
    • 第26章 ヘイト言説と向き合う場
    • 第27章 「動かぬ証拠」としての書物   
  • Ⅷ 書店は、「言論のアリーナ」になりうるのだろうか
    • 第28章 『賢人と奴隷とバカ』と『NOヘイト!』フェア
    • 第29章 「闘争の場」の消失
    • 第30章 「ヘイト本」の駆逐が意味すること
    • 第31章 「加害者の側に立てる勇気」とは
    • 第32章 揺籃としての書店

棚から外す

 当時、ジュンク堂書店は、神戸発の大型店で専門書も大事に売って、一部読者から注目されていました。まだ、全国展開していたわけでもなく、店舗も兵庫県と京都市にしかなかったのです。

 イスラム原理主義者を大いに刺激するかもしれなかったので、『悪魔の詩』を書棚から外すのが、妥当だったのでしょう。紀伊国屋も、書棚から外して、問い合わせた客のみ販売するようになりました。

 けれど、「書棚から外す」という行為に、書店員として大きな違和感があります。「ある本を外す」という選択肢は、書店員として最後のものであり、十分な理由を必要とするものに思えるのです。

 オウム出版の本の販売時のようには至りませんでした。結果的に、『悪魔の詩』に関して、書店現場ではとくに大きな事件は起こっていません。

自分探し、占い、前世探し

 ジャック・ラカンの理論においては、「アイデンティティ」への他社の介入の時点は、そもそも「自我」(Ego)の発生段階まで遡ります。逆説的に、ラカンの「主体化」を「他人になる」ことだと解釈する人もいます。

 「主体」であるとは、ぼくたちが自分自身の規範によって行動することだと言えますが、その規範自体、ほぼすべての場合に、他者から得たもの、他者に倣ったもの、他者を真似たものだからです。

 大きな物語には、模倣すべき他者が明確に存在しています。大きな物語がアイデンティティを持つことはなく、物語の本を買うことでアイデンティティに結びつくということでもありません。

 消費者は、自ら物語を創出しなければならなくなったのです。三浦展は著書『脱アイデンティティ』の中で、これらのことを分析しています。

 「自分らの物語」創出への強迫観念が「自分探し」と呼ばれ、占いブームや「前世探し」ブームへとつながっていったのではないでしょうか。

『ネット右翼になった父』の教訓

 ルポライター鈴木大介が、父の死後すぐに、父が「ネット右翼」となったと断定した文章を寄稿させたのが『ネット右翼になった父』です。

 しかし、ネット右翼となる定義、属性を調べてみると、父には当てはまらないものが多くあります。靖国神社について、他国からとやかく言われたことを否定した是非などは語られていません。「平和憲法」の改憲に絡む発言もなかったのです。

 鈴木は、父は決してわかりやすく価値観の多様性を失ったネット右翼ではなかったと結論付けました。父をネット右翼にしたのは僕自身だったと語っています。

 父の言動を嫌悪して、距離をとり過ぎてしまって、父の和解が遅くなりすぎてしまったという後悔をしています。

 間違った言動を忌避し、それと正面から向き合うことを回避する姿勢は、決して良い結果を生むことはないのです。

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