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目次
書籍情報
殺人者たちの「罪」と「罰」
発刊 2023年11月6日
ISBN 978-4-7942-2667-9
総ページ数 397p
ケイト・モーガン
2008年に事務弁護士資格を取得。長年にわたり水道業界で上級社内弁護士を務め、源氏はカンパニーセクレタリーとして企業の法務や管理業務に携わる。
草思社
- イントロダクション 汝、殺すなかれ
- 謀殺の登場と故殺の誕生
- 謀殺を構成する二つの要素 アクトゥス・レウスとメンズ・レア
- 謀殺とは何でないか
- 第一章 決闘場
- 文学者がポン引きを殺したのは正当防衛なのか?
- 武力で自分の名誉を守る権利_決闘
- 決闘裁判の慣習を蘇らせた男
- 殺人にいたる理由を視野に入れる
- 第二章 悪の狂気
- 心神喪失の申し立てをした男
- 国王を銃撃した男のその後
- 暗殺の概念
- 心神喪失に関するルール_「マクノートン準則」
- 少女の首を切り落とした男の精神状態
- 心身喪失を認められながらも有罪となった男
- 外的な圧力や絶望的な状況は殺人の理由になるのか?
- 第三章 自治領の外へ
- 「海の習慣」としてのカニバリズム
- 少数の犠牲に多数の運命が左右される海難事故の法的ジレンマ
- 第一次世界大戦下で起きた最も衝撃的な殺人事件
- 結合双生児を切り離す手術に違法性はないのか?
- 変動していく謀殺と故殺の境界線
- 第四章 まかせてください、医者ではないので
- 故殺罪の審理を受けることになった「スラムの開業医」
- 医師の過失とミスの隠蔽
- 新たなカテゴリー「重過失故殺」の誕生
- 有罪を証明するのは訴追側の義務
- 自動車事故と重過失故殺
- 殺人法を変えてきた人々
- 第五章 収穫逓減とキャピタルゲイン
- 挑戦という由緒ある抗弁
- 挑発に関する法律の限界
- 「やってやれ」_共同企図
- 1957年殺人法_謀殺に対する三つの部分的抗弁の導入
- 限定責任能力の概念をどう適用すべきか
- ベントリーとエリスの有罪判決をめぐる論争
- 死刑廃止以降の問題
- 第六章 HIRAETH(ヒーライス)
- 謀殺の概念に疑問を投げかけさせた事件
- 災害における刑事責任の欠如
- 殺害する意図がない場合の罪はどうなるのか?
- ヨークシャーの切り裂き魔との対比
- 第七章 鏡に口紅
- 控訴院の欠陥と司法過程における役割
- 虐待に苦しむ女性と挑発に関する法律の見直し
- 蓄積された挑発という考え方
- <ブリッジウォーター・フォー>の解放
- 刑事事件再審委員会の設立
- 殺人法の盲点にもなる大量殺人
- 第八章 法人
- 企業を故殺で有罪にはできないのか?
- 会社の故殺罪をめぐる60余年ぶりの裁判
- 「1年と1日ルール」の廃止
- 法人故殺法の成立
- 第九章 謀殺:手引き
- 謀殺の神話と現実とのあいだにあるずれ
- 限定責任能力と挑発の新たな定義
- 「挑発の抗弁」から「自制心の喪失」へ
- 殺人に関する責任の範囲を広げる根拠
- 法人故殺罪の適用
- 嬰児殺しを取り巻く法律
- 「危険な自転車運転致死」罪を導入すべきか
- たえず変化してきた謀殺法
- 洗濯書誌および出典注記
- 用語解説
- 謝辞
- 訳者あとがき
はじめに
殺人という行為そのものは真っ白なキャンバスで、そこにはあらゆる意味が投影されます。単純な復習や怒りの行為にもなれば、金銭的な動機や殺人者のみが知る理由から引き起こされもするでしょう。政治的な便宜を図る道具としても、個人の名誉の表現としても用いられてきました。無差別に殺す者もいれば、自分の命がかかっているために殺害するものもいます。
いずれの場合も中心にあるのは、きわめて現実的で、危険なまでに複雑な、果てしなく興味をそそる犯罪、刑法の歴史上、最も神聖化された罪です。
殺人(謀殺)は裁判所が有罪判決時に終身刑を科さなければならない唯一の犯罪であり、19世紀から20世紀にかけて長年にわたり、命をうばう刑が正当とされます。
殺人という犯罪は大衆文化に浸透しているとはいえ、私たちは半分もしりません。殺人について見たり読んだりすることに慣れるあまり、自分が知っている以上のことを知っていると思っています。
生半可な知識は危険なものになりかねません。
外的な圧力や絶望的な状況は殺人の理由になるのか?
リヴァプール・ストリート駅の叫ぶ霊たちや、ウィリアム・テリスが地下鉄で見せる死後の演技など、殺人の物語はどれも本質的には怪談です。こうした事件や裁判の語りでは、犠牲者が死後の世界から蘇り、殺された復讐を果たします。しかし、法律はまずそこまで白黒はっきりしていません。精神疾患の影響で殺害した者を有罪とし、処刑することがどこまで正義にかなうかは、つねに議論の的になっています。
マクノートン準則が作成されたことで、正気度を判定することが法律でできるようになりました。しかし、外的な圧力や絶望的な状況も同じく抗しがたいことがあるのです。
イングランドの殺人法は、数々の道徳的相対主義を洗い直して、厄介な問いに答えなくてはならなくなります。「人を食べることはつねに悪いことなのか?」などです。
「重過失故殺」の誕生
20世紀に入るまで、ほとんどの医療は自己負担ベースで提供提供されていました。大企業のなかには労働者のために医療費を提供することろもあったし、友愛組合などの地域組織が地元住民向けに医療共済会を運営することもありました。けれど、労働者階級の暮らす地区や農村部では、医業で生計を立てるのは困難な場合があったのです。
1913年にパネル制度が設けられ、国民保険のもとで誕生しました。これにより、人口密度の高い工業地帯を拠点とする開業医は、地元住民から多数の患者を獲得できたのです。
1920~1930年代には、パネル方式が二層化を引き起こしたのではないかと言われ、過去に起きた出産における母子の死亡率が高まりなどが懸念材料となりました。分娩時にクロロホルムを使用する医師が増えたからだと言われています。イングランドは「嬰児殺しパニック」呼ばれる状況に悩まされていたのです。
1922年に、ようやく嬰児殺法が成立します。産後の精神バランスの崩れにより、生まれたばかりのわが子を殺した女性に、拘禁刑を処すものです。
ベイトマン医師が、ハーディング夫人の子宮摘出手術後の死による裁判で、故殺の故殺の刑事責任を問うには不十分だとして上訴し、罪を逃れました。しかし、有罪判決を覆すと同時に、過失を故殺罪とするための水準が設定され、故殺の新たなカテゴリー「重過失故殺」が生まれたと言っていいでしょう。
虐待に苦しむ女性
1989年5月8日、早朝、ウェストサセックス州クローリーのラングリーグリーン地域に建つ一軒家から消防隊に電話が入りました。現場では前庭の芝生に人だかりができていて、リビングの窓に映る人影に向かって声をあげ、激しい身振りを繰り返していました。
なかにいたのは若い女性で、子どもを腕に抱いています。外の隣人たちが家から出るよう急きたているが、あまり耳に入っていない様子です。
小さな息子と外にでて、燃える家を正気のない目でみていました。
夫のディーパクによると、昨晩、お金の問題で喧嘩をし、彼が寝ているところに部屋にはいってきた妻がベッドに火をつけて、苛性ソーダの溶液を浴びせられたとのことです。意識は奇跡的にあってが、火事の1週間後に致命的な心臓発作を起こしました。
キランジットは謀殺未遂容疑で刑務所に勾留されており、夫謀殺の容疑で裁判にかけられることになりました。
お見合い写真を見ただけで、ディーパクと結婚することを決めたキランジットは、すぐに自分の決断を後悔します。結婚式も上げてないうちから、なんどもかっとなり、拳をあげられることが幾度とあったようです。
ディーパクは新妻に対して、日常的に、言葉による虐待と、身体的・性的虐待を加えていました。
ディーパク謀殺の罪に問われた裁判で、うっかり殺してしまったという供述には無理があったため、10対2の過半数でキランジットを謀殺で有罪となったのです。
この報道をしった「サウソール・ブラック・シスターズ」団体が支援に関わり、「生き抜くための究極の行為におよんだからにほかならない」と主張しました。キランジットには新しく弁護士を設けられ、抗弁の機会が設けられました。
発言に慎重に対応するようになり、キランジットが火事のときに限定責任能力の状態にあったことだけはほぼ間違いないと判断され、謀殺の有罪判決は信頼できないと結論づけて、有罪は破棄されました。キランジット・アルワリアは無罪放免となりました。
彼女が自由を手に入れるために重要だったのは、長年にわたる虐待が精神に及ぼした影響です。虐待を受けた末に示した反応の妥当性ではありません。
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