※サイト管理人が興味をもった部分を紹介します。
はじめに
鉄道の変遷は、国有化、民営化、輸送量と収益性が関係していき、動力は蒸気➡ディーゼル➡電気へとかわりました。
最近は磁気浮上リニアモーターカーという技術が生まれ、中国が先行しています。
私なりに調査・推敲してきたつもりですが、鉄道の文化はとても広いのです。
目次
書籍情報
タイトル
世界鉄道文化史
著者
小島英俊
出版
KODANSHA
鉄道は儲かった
開通したばかりのリヴァプールーマンチェスター鉄道の業績は順調でした。
当時の駅馬車は料金が車内席10シリング、車外席5シリングほどです。それに比べて列車は、1等級でも7シリング、2等級でも4シリングでした。所要時間も駅馬車よりずっと速かったのです。
それでも当時は庶民が気軽に使うわけにはいかない値段であったことは推測できます。しかし、資産階級の他にも中産階級も育ちつつあったので、多くの人が利用し1日平均1100人の乗客数があったのです。
競争者のいない初期の鉄道は大変儲かるものだったので、鉄道は有利な投資対象とみなされて鉄道建設ブームが起こりました。
一方で民主主義が定着していたイギリスでは鉄道に対して規制され、運賃の上限が設けられたのです。あまりにも儲かっているようであれば、その分の運賃の引き下げが命ぜられました。
鉄道快適化物語
日本で列車というと、通常の座席車両で、昼間に走る事を連想します。列車も高速なので、鉄道旅行は短時間で済んでしまいます。設備を特に必要としないのです。
長旅の多いアメリカでのニーズは、食事をする、寝る、寛ぐといった生理的欲求が生じます。
初期のアメリカの汽車旅では、食事は大きな駅に設けられた食堂で取っていました。乗客が小さな停車駅の野原でサンドイッチを食べていた光景もみられています。
私たちが想像する食堂車が普及したのは1870年後半からです。
日本で初めての食堂車は1899年の山陽鉄道の神戸~福山間に登場した列車です。室内伝統や赤帽制度など最新式の設備やサービスは何でも率先して導入しました。登場したのは定員16名の寝台車と定員8名の食堂車が合わさった「一等寝台食堂車」です。
2006年には三等急行列車に食堂が設けられるようになり、急速に各線に食堂車が導入されました。寝台車も亜幹線、特急、急行、普通列車にまで進出しました。
しかし、1941年の太平洋戦争への突入でその運行は休止されていきます。
朝鮮旅行、満州旅行
1930年代の朝鮮環境ツアー案内では、京城、平壌、新義州、金剛山、慶州では遊覧バスがあり、日露戦争で勝利した戦跡としても推奨されていたのです。
新義州には1000年来の新羅の古寺が点在し、複雑に群立する奇峰の景観が魅力とされていました。今では、北朝鮮が外貨獲得のために外国人にも開放していることで有名です。
満鉄では、大連、奉天、新京、ハルピンといった大都会に旅行がされていました。
満鉄での旅は変化に富んでいたようで、金髪娘が流暢な日本語で露西亜人の宗教を説明し、日本娘が声を絞って悲壮な沖横川烈死物語をします。満州街に入り、スラブ街を過ぎて、快速艇遊覧を楽しむ複雑な4時間を体験できたのです。
しかし、満州南端と大連~長春の満鉄路線沿いの線の場所にしか安全な場所がありませんでした。それ以外の満州の空間は満州軍閥が、長春以北の東支鉄道沿いにはロシア軍が駐在し、日本人が旅行するには危険な地帯でもあったのです。
リニア新時代をどう見るか
日本がリニア新幹線計画は始めってから60年も経っており、大きなインパクトを持っています。最近中国も日本の後を追い始めたのです。
リニア方式には「常電導磁気浮上方式」と「超電導浮上方式」の2種類あります。
「常電導磁気浮上方式」は常温で機能できますが、1センチしか浮上できません。
「超電導浮上方式」は、超低温環境を作らなければならないかわりに10センチも浮上できます。
「常電導磁気浮上方式」は、中国やドイツで開発が行われていますが、1センチしか浮上できない危険性が強く認識されたため、断念しています。
日本の「超電導浮上方式」の研究は1962年に始まり、どんどん進化を続け2015年には時速603キロを記録しました。2027年には東京~名古屋間、2040年に東京~大阪間全通を目指しているのです。
日本の「超電導浮上方式」は唯一の実証技術であり、他国では追随できないものです。しかし、中国がライバルとして再浮上してきました。2021年に600キロを標榜とするリニア車両がお披露目されています。
試験線誘致合戦が始まっており、国土の広いアメリカに日中間の売り込み競争が展開される可能性があるだろう。
感想
サイト管理人
アメリカに比べれば小さいけれど、日本…別に国土狭くないと思います。それなのに、新幹線や旅行列車のイメージが少ないと連想できてしまうのは、ゆっくり旅するという文化がないんだなと感じました。
アメリカの人は「ちょっとそこまで」の距離がおかしくて、1日くらい運転し続ければ行けるのであれば車で移動しようとします。
この本のちょっとした文章で脱線できるような要素もあるし、列車の絵も途中で挟むのでイメージが浮かびやすかったです。
鉄道の歴史や物語に触れることで、優雅な鉄道の旅に出かけたくなりました。
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