※サイト管理人が興味をもった部分を紹介します。
このページでは各章の一部を切り抜きます。
目次
書籍情報
タイトル
「私」という男の生涯
著者
石原慎太郎
出版
幻冬舎
I
自分が長らく所属していた正当にうんざりし、ある日突然議員を死体した後、一種のアンチメモワールを描きました。題名は『国家なる幻影』です。
後に残されたものは幻影を追った後の悲しさか絶望なのでしょうか。いやそうでもないでしょう。私は未だにこの国を愛しているし、絶望もしてはいない、行く末をしきりに懸念し焦ってもいるし、女性たちはも過ぎてはいきましたが、記憶の中に確かに在るのです。
自分を忘却して死ぬのはいやです。死ぬ瞬間にも自分のすべてを思い起こして死にたいと思っています。
今このページを綴っている時点で私は最後の選挙の最中にいます。仲間のために東西を駆け回っていますが、これも皮肉な話です。国会議員に復活して小さいながら「日本維新の会」なる生徒の党首になりはて、日頃雑務に追われてうんざりしきっていた私にとって、ルーティンのくびきから解放される絶好の機会とも言えはしますが。
今年の冬は寒く感じ、80を越えた身には応えます。子どもの頃に過ごした北海道での出来事を思い出しました。南の東京に住む僥倖を囲ってはいますが、お陰で雪に埋もれて過ごした幼年期の思い出の断片すら浮かんできません。
Ⅱ
敗戦が決まり、これから先この国がどうなるのか見当もつかずにいた頃、「いいか、もう直にアメリカ軍が上陸してきて本土決戦になったら、俺たちは皆死ぬんだぞ」と言い渡されました。
死について漠然と予感し考えた初めての体験です。今これを書いている時点で私は三年間に脳梗塞を患い、なんとか立ち直って政治からも引退し、84のこの頃日ごとに衰退していく自分の肉体に絶望しかけながらもなんとか生きています。
私は中学に7年通うことになった。外交の教師たちのなんともいえぬ俗物性につくづく嫌気がさしたせいです。実質登校拒否をして、ボイコットしたといえます。
敗戦という未曾有の経験は学校の教師たちにもショックだったに違いありません。彼らの価値観は豹変しました。当時エリートとされていた海軍士官になることを熱願して子どものたちの教育、仕付けに臨んでいた教師たちは混乱したのです。
今でも記憶にありますが、敗戦後の全校生徒を対象にした教育として、体育館に生徒全員を集めて何度となく繰り返し、民主主義と自由主義なるものはあくまで異なるのだということを執拗に説いて聞かされました。創設者だった校長があっけなく追放されてしまったような状況の中で、彼らの保身のための自己弁護だったに違いありません。
Ⅸ
国会議員となったお陰で私は普通では味わうことのできない、いくつかの体験をすることが出来ました。当初最大の政治イッシューだった沖縄返還に関わる核問題の新しい体験です。
ワシントンでの返還交渉に多くの議員たちが随行を願っていたが、佐藤栄作総理は何故か私と竹下昇だけにどこかを迂回してワシントンで落ち合う事を許してくれたのです。私はモスクワ経由でワシントン入りを果たしました。
アメリカの核戦略基地を示唆してくるように啓示され、オマハのSACとコロラドのNORADをくまなく視察することができたのです。
驚いたことは、核兵器の取り扱いについて議論が沸騰しているのに、日本の国会議員が誰一人としてこれらのアメリカの戦略基地を訪れたことがないという事実と、NORADが日本のためには全く機能不全という事実です。
NORADはアメリカの核戦略の警備体制の基点に他なりません。事実、きたメリカとカナダのごく一部をカバーしているだけで日本は完全に埒外なのです。
現地を訪れることなしに、アメリカの核による庇護を盲信していたという虚しさが残りました。
感想
サイト管理人
過去の出来事を思い出しては、執筆してる時点に帰り、そこからまた過去に遡ります。まさに、石原慎太郎の生涯が綴られた書籍です。
このページでは、石原慎太郎の身内ネタにあたる部分は控えめにしました。私もゴシップ記事はあまり得意ではありません。人によっては面白くない部分があると思います。そんなことも含めて石原慎太郎の生涯です。
すべてと思い起こして死にたいと語る男の生涯が気になった方は、チェックしてみてもようのではないでしょうか。
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