書籍「絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている」の紹介

書籍情報

タイトル

絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている

著者

佐巻健男

出版

ダイヤモンド社

内容

猿から人類に至るまでの進化。衣食住にまつわる化学の歴史。工業の発展と社会の闇、医療の進化、戦争をふまえてどんな化学の側面があるのかを、具体的にかつ簡単に説明しています。

私たち人類は火に近づいていきました。火を操れるようになると、外敵身を守る術が増えて食事のレパートリーが増えました。前足は器用な手に変化して、頭を発達してきたのが人間です。インダス文明のときには、上下水道、道路が配備され、穀物の栽培と貯蓄を行っていました。定住生活の基盤が遥か昔に確立していたのです。

物質、イオン、約90種類の原子に生活が支えられています。文明は物質と化学によって作られたと言っても過言ではありません。私たちの歴史の背景に、どのように化学が関係しているのかを説明していきましょう。

哲学から科学へ

古代ギリシャには哲学者、弁論者と呼ばれる者たちがいました。実験という概念が無かっただけで、今でいう科学者に近い存在です。

「あらゆるものは原子からできている、空気も椅子も原子からできているのだ。」
こんな考えが哲学者の中にありました。
そこでタレスは水に着目したのです。水は冷やせば凍り、温めれば元に戻り、更に温めれば水蒸気になる。目に見えない空間の中にも何らかの原子が詰まっている。と考えていました。
デモクリトスはこの原子論を参考にして、「神はいない。」と言ったことで、神の信者から反感をかい全ての本を燃やされています。

その後、エピクロスが奴隷や女性に対しても開かれている哲学を学べる学校を開き3世紀がたちました。

エンペドクレスが火・水・空気・土の4つの元素から全てが成り立つといい、プラトンの弟子アリストテレスは、熱する・冷やす・湿らす・乾かす4つの工程を得ることで、4つの元素が変化すると発表しました。これに影響して、4つの工程を使って金が作れるのではないかと錬金術が流行します
そして、やっぱり真空は無いものとされていました。

ある日、ポンプの長さがある深さまでいくと、水が上がらない問題が起きました。ガリレオ・ガリレイの弟子エバンジェスト・トリチェリは大気圧で押されているから水が上がらないのではないかと考えて、水銀で試験し、真空があることを発見しました。

アントワーヌ・ラボアジェは元素表を初めて作った人、現代からみれば熱や光が元素というのは間違っていますが、表にしたことで未来に発展していくことになります。

ジェン・ドルトンは大気中の元素はなぜ均等になっているのだろうかと疑問を持ち、原子には決まった重さがあると原子量を発見し、後にアインシュタインが物体が水の中で不規則に動くブラウン運動から分子量を発見しました。

今まで、原子は物体の最小単位であり絶対に壊れないものとして考えられてきましたが、放射線、X線、電子、といろいろ発見されたことで、原子より小さいものは存在し、原子が壊れてエネルギーを発するがわかりました。発電に使われている原子力というものです。

アレッサンドル・ボルタは周期表に、元素間の関係性を見出した人物です。小学校の授業で元素数の数によりくっつく元素の数が決まるという、あの良くできた考え方はここでできました。

さらにメンデレーフは周期表の改善に努め、将来発見されるであろう元素をホウ素・アルミニウム・ケイ素の下に作り、後に見つかったことで周期表が大いに注目されるこことなりました。そして周期表は陰イオンを持つハロゲン元素、希ガス元素、陽イオンを持つアルカリ元素に分かれて、とても理解しやすいものになりました

こうした化学の知識が、工業・農業・医学に現在も使われています

衣食住の発展

食べ物の発展

稲は自然のものだと環境には強いが、1本の稲からとれる実の量がわずかしかとれなかった。それを品種改良を重ね以下の特徴のあるものを作り上げてきました。

  • 1本の稲に多くの実をつけるもの
  • 1度に収穫できるもの
  • 結果的に、人工の稲は環境に弱いものとなった

毒が少ない収穫できるものということで芋の栽培が行われていきました。そのなかでもジャガイモはパルマンティアの祭りでうまいこと宣伝することができ、どんどん流行していきました。日本にも明治ごろに肉といっしょに食べるとおいしいと人気を高めました。

イノシシに替わる食材として、が選ばれました。理由は以下の2つ

  • 繁殖力が強い
  • 育つのが早い

中東エリアの国々に農業に革命が起きていきます。食料が備蓄できるようになると、やがて貧富の差が広がっていくようになりました。

毒である食材も加熱して、毒を抜き、消化しやすいように柔らかくなって、アミノ酸が増えて美味しくなります。

先祖はお酒に強かった人がさぞ多かったことでしょう。古代エジプトでは薬としても飲まれていたようです。当時の注意書きが残っています。

「ビールを飲んで自我を失っている場合は他人の家にはいくな、発した言葉は他人を傷つけて後で自分も傷つくことになるだろう。」

当時から、終電が終わっている駅で酔いつぶれてしまうサラリーマンみたいな存在はいたみたいです。

急性アルコール中毒は、死を招きます。酔いが回るのに30分程度時間がかかるので、注意が必要です。

母菌サッカノミセス、サッカノマイセス、セレビシエと発見されることで、パンやビールの発展に繋がりました。酵母はカビやキノコに近い性質をもっていて、バラバラになっていたものが集まってネバネバするという特徴を持っています。

お酒の仕組みが分かると、16世紀には修道院から市民へビール作りの権限が譲渡され、お酒作りが民間作れるようになりました。蒸留酒、ブランデー、ウイスキー、スピリッツとお酒の種類が増えていきました。

蒸留酒のなかのアルコール度数90%アクアビテはペストの際に薬としても重要なものになりました。

衣類の発展

衣類を染める植物性のウコン、藍、茜があります。今でも、沖縄では天然の藍染をしているところがあります。

動物性の染料はコチンニール、カイムラサキがあります。古代の王族がサイムラサキを大量にとって染色していました。コチンニールは薬品の着色に使われています。

ウィリアム・パーチは合成染料を偶然発見することができました。ロンドンの王立化学大学で石炭を熱分解させると石炭ガスとコークスに分かれて、使い道のないコールタールが残りました。そのコールタールから抽出したアニリンを使って疫病のマラリアの特効薬が作れないかと思い始めたことだったが、モーブと呼ばれる染料を開発することができました。

有機物は生物が作るものとされてきましたが、フリードリッヒ・ウェーラーが有機物の尿素を人工的に作ることに成功しました。時代がすすみ建築の経験があったアウグスト・クルネがベンゼンの炭素構造を六角形の図解化しました。ベンゼンの構造がわかることでアニリンの構造が分かるようになり、合成染料の時代へと変わっていきました。

当時ドイツが主な染料工場を約90%を占める数を持っていました。その後アスピリンを売り出し、現在も有機化学では存在感をだしています。

デュポン社でカロザースがナイロンを開発します、合成繊維です。ポリエステルは今では有能な機能を持っています。日本は蚕、つまり絹の生産国でしたが、ナイロン・ポリエステル・アクリルの三大合成繊維に大打撃を受けてしまいます。対抗してリニロンという合成繊維の開発し、工業化することに成功しました。リニロンは学生服で広く知られることになります。

日用品の発展

土器が発明されたのは2万年前、煮るという料理革命がおこりました。炭素14という物資の量を調べるとある程度の時間が経っているかを知ることができます。縄文時代ではすでに定住生活をしていたことが明らかになっています。硬質土器は中国で盛んに作られており、日本でも有田焼などが当てはまります。

ウェッジウッドは化学的に陶器を作ることに成功し、産業革命を起こしました。今でも世界有数のセラミックメーカーです。セラミックとは、土に返るコンクリートといったところです。セラミックで作られた鉄筋コンクリートは土に返ることができるのです。

ガラスは今や、自動車、家、学校に使われています。石が原料となり、加工しやすく、液化できるため広く使われています。吹きガラスの発明から広まり、ガラス窓がローマでできた。ドイツで一般的になり今に至る発展をしてきました。

ガラスは電子、原子核が少なく中身がスカスカなので光を良く通します。ガラスが透明なのは光を良く通す性質があるからです。光を通す性質は光ファイバーに活かされています。ガラスコアが主となったケーブルの束が各家庭に光を送っているわけです。

強化ガラスの進歩もしています。携帯電話の液晶モニターに使われていて、割れることはありますが、薄くて硬くて、傷つきにくい特徴を持っています。

菌との闘いと薬

生きるのに必要な物資は水です。この水は汗や尿となって常に排出されています。20%失うと死亡するといわれていて、3日間飲まないと危ない状態になります。

遥か昔、古代ローマのような人口の多い都市でも、上下水道を町中に設置し、サウナまでありました。

宗教の教えにより衛生観念が無視された時代がありました。19世紀のパリではドレスの裾をバルーン状にして、その場で糞便ができるようにしていた時代です。そのころは一部の上流階級にしかトイレがなく、糞便は道に捨てるか部屋の端っこにおいて置くような不衛生な時代が続きました。ついにパリではコレラ菌が大流行し、かなりの死者をだしました。コレラ菌は水と便が合わさることで発生し、その水を飲むことで発症します。

コレラによる死者の分布を調べた町がありました。コレラにかかっている人の多くがある井戸を中心に分布が広まっていることが分かり、その井戸を使用禁止にしたことで、ピタリとコレラに発症する人がいなくなったという事例があります。このことから疫学的防衛の重要性が知れ渡ることになります。

ヨーロッパの国でも衛生管理を意識するようになり、下水道が作られるようになりました。1870年以降はコレラの脅威もあり日本にも下水道が作られています。そして20世紀になるとカルキ、塩素剤に消毒効果があることが分かり、人に悪影響が及ばない程度の微量を添付して、安全な水を供給することができています

サリチル酸が熱を下げる効果があることは知られていましたが、人体に影響がでるためにそのまま使用することはできなかった。サリチル酸を無水酢酸でアセチル化することによってできた、アセチルサリチル酸を開発して解熱鎮痛剤をつくることに成功したジョン・ベイン、アスピリンという名称をつけて売り出しました。

パウルマールリッヒは染料の力を借りて梅毒に効く「魔法の弾丸」を作り出しました。作り出した薬を飲みやすくしたサルファ剤が開発され、その薬が原因で約100名ほどが犠牲になったことで薬事法が作られました

アレクサンダー・フレミングが史上初の抗生物質ペニシリンを開発し、その後多くの抗生物質が増えました。その多くの抗生物質に耐性のある金が出てきては抗生物質が開発されるという、いたちごっこが現代も続いています

激しい痛みやを緩和するのにモルヒネを使われることがあります。モルヒネはアヘンの一種です。薬と毒は表裏一体です。アヘンには中毒作用と一時的な幸福感があり、多量に摂取すると脳に影響がでます。イギリスはこのアヘンの輸出で経済を回していました。信は麻薬中毒患者に悩みアヘンに規制をかけたことで、アヘン戦争が勃発しました。今でも、日本はアヘンの密輸が絶えません

化学と戦争と自然環境

昔、青銅器で食器だけではなく、ヤリなどの武器が作られていました。やがて、鉄が取り出せるようになると、たたら製鉄と呼ばれる木炭と砂鉄を交互に入れて玉鋼を叩いて結合して叩いて結合してを数十回繰り返すことで刀などの製造を可能にしました。

転炉法の開発により鋼の製鉄が大量に可能になり武器が大量に生産されると、今度は鋼鉄製の大砲が作れるようになりました。

金属の天然資源を持つということはかなりの権力を持つことになります。台湾を制圧するために、どうしても尖閣諸島がほしい中国は、日本に対して経済措置として希土類の出荷を停止しました。このことからも、けっこうやりたいようにできてしまうのです。

セルロイドがなんにでも使えることに気づいたことから4大プラスチックのポリエチレン、ポリプロピレン、ポリ塩化ビニル、ポリスチレンが生まれ、紙オムツに使われる質量の何倍の水分を吸収できる、機能的なエンジニアプラスチックなどの開発が現在も行われています。今は自然に返らないプラスチックごみをなくし、生分解性プラスチックを開発できるかが今後の課題となっています

「街には自然があった
生物が街から消えた
白い粒が街に襲い掛かるように降っている。」

とレイチェル・カーソン著の沈黙の書に書かれて、実際に起きるだろうと警告を鳴らしました。

白い粒というのは殺虫剤DDTのことで、この警告をうけてDDTの使用を規制しました。生態系に悪影響を及ぼすためです。このDDTは感染病マラリアから最も命を救った薬でもあります。ハマダラカを殺すのに強力な殺虫剤でしたが、今は耐性をつけた虫が多く存在し効果が薄くなっています。

冷たく冷やす、冷蔵庫とエアコンはフロンガスを使い、オゾン層を破壊している事に気づきました。いまではオゾンを破壊しない代替フロンが開発されていますが、それも温室効果ガスとして問題になっています。

ベトナム戦争の終結を早めたナパーム弾、ベンゼン、ポリスチレン、ガソリンからできていて、かなり年度が低く人に付くと落とすことができないため、死亡させる確率が高い殺傷能力の高い兵器です。

ニトログリセリンを使ってダイナマイトを発明したノーベルという人がいます。ノーベルの考えは強力な武器を作れば、誰も反抗する気がなくなって平和になるだろうと考えられていたようです。ノーベルはダイナマイトの開発により莫大な資産を得ました。”(概略)ノーベルは遺産で有価証券の基金を設立し、賞という形で多大な功績を残したものに遺産を授与せよ。”と遺言を残しました。ノーベル賞の誕生のきっかけです。

毒ガス兵器も開発されました。サリンやソランといった兵器も第2次世界大戦で使用されました。ドイツはフランス兵に対して生産過剰となった塩素をバラまいて毒ガス攻撃していました。日本もイペリットという兵器を中国共産党に対して使っていました。

ウラン235に核分裂を起こすと中性子が飛び出して別のウラン325にぶつかって核分裂を起こす連鎖反応を引き起こします。それを爆弾として利用したのが原子爆弾リトルボーイとファットマンです。日本が降伏する目処は正確に計算されていましたが、ソ連と世界へのアピールのため広島と長崎に落とされました。

終末時計は毎年更新されています。現在は過去最低の残り100秒を更新しています。

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