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目次
書籍情報
10万年の噴火史からひもとく富士山
発刊 2024年7月5日
ISBN 978-4-635-53075-0
総ページ数 127p
曽布川善一
2002年に独立。独学で写真を始める。藤さんをテーマとし、富士山麓から、山岳、富士山中をフィールドに撮影活動を行う。
小林淳
静岡県富士山世界遺産センター学芸課教授。
富士山・箱根山・伊豆諸島北部の活火山の噴火史研究を行ってきた。
山と溪谷社
- はじめに
- 富士山周辺図
- 序章 火山 富士山の成り立ち
- 01富士山が「そこ」にある理由
- 特異な性質をもつ火山、富士山
- 地球内部の働きで生まれるマグマ
- 伊豆をのせたプレートの衝突がつくった富士山の基盤
- 3つのプレートの接点で誕生した富士山
- 02美しい円錐形の姿はこうしてつくられた
- 山腹割れ目噴火と山頂噴火を繰り返して
- 複数の火山を土台に成長した富士山
- 富士山の姿は変わり続ける
- 01富士山が「そこ」にある理由
- 噴火がつくった富士山の世界
- 01山頂火口
- 爆発的噴火がつくった山頂火口
- 8つのピーク
- 最も新しい山頂噴火の痕跡
- 伊豆岳に見えるさまざまな地層断面
- 柱状節理が物語る溶岩湖
- 02樹海を生んだ大噴火
- 富士山噴火史上最大の溶岩
- 古代の歴史書に見る貞観噴火
- 貞観噴火の火口を森に探す
- 青木ヶ原溶岩流に囲まれた大室山
- 03貞観噴火が生んだ湖
- 巨大湖、せのうみを分断した青木ヶ原溶岩流
- 本栖湖に残る溶岩流跡
- せのうみが分断されて生まれた精進湖
- 04岩屑なだれがつくった湿原地帯
- 2万年前の山体崩壊が残した小田貫湿原
- 05白糸の滝
- 古富士と新富士の地層を巡る水
- 白糸の滝に見る地下水の流れ
- 音止の滝と芝川の激しい浸食
- 知られざる三滝
- 06崩壊谷と大滝
- 富士山最大の崩壊谷 大沢崩れ
- 崩壊谷の末端にある断崖 大滝
- 07市兵衛沢
- 大雨で姿を現す空堀沢
- 08溶岩洞穴
- 平安時代の噴火がつくった異世界
- 溶岩洞穴を歩く① 軽水風穴
- 溶岩洞穴を歩く② 眼鏡穴
- 溶岩洞穴を歩く③ 溶岩球がある小さな洞穴
- 09樹海の氷、富士山に現われる雲
- 樹海に息づく氷の世界
- 氷筍が生まれる洞穴 富士風穴
- 氷の世界を見にいく
- 氷筍の個性
- 富士山に現れる雲
- 10火山が生んだ富士修験
- 溶岩流をたどる信仰の道
- 冨士山興法寺が伝える道者道、吉原道、下向道、村山道
- 修験者の拠点となった冨士山興法寺
- 凡夫川 龍巌淵の水垢離
- 水垢離場を清める「法剣の儀」
- 富士修験に影をおとした神仏分離令
- 復活した大日堂の祭典
- 11溶岩樹型
- 吉田胎内樹型群
- 吉田胎内神社と吉田胎内祭
- 胎内(本穴)へ
- 本穴周囲の胎内樹型
- 素朴な溶岩樹型
- 12霊場となった溶岩洞穴
- 人穴で今なお続く富士講神事
- 登拝 溶岩流を登る
- 御山納め
- 富士山信仰を支えた石室
- 13宝永噴火
- 宝永山を誕生させた「爆発的噴火」
- 3つの火口
- 第一火山底から宝永山山頂へ
- 宝永噴火の最終舞台
- 01山頂火口
- おわりに
- 富士山略年表と本書関連記事
書籍紹介
富士山の噴火史に迫る
富士山は日本の象徴とも言える存在ですが、その成り立ちや噴火の歴史について詳しく知る機会は意外と少ないかもしれません。この本では、富士山がどのように形成され、どのような噴火を繰り返してきたのか、10万年にわたる詳細な歴史を科学的に解説しています。
曽布川善一さんは、長年にわたり火山研究に従事してきた専門家です。その豊富な知識と経験を基に、富士山の噴火史を丁寧に紐解いていきます。火山学の専門用語もわかりやすく解説されており、専門知識がない方でも読み進めやすい内容となっています。
魅力的な写真と図版
本書の魅力の一つは、美しい写真や詳細な図版が豊富に掲載されている点です。富士山のさまざまな表情や噴火の痕跡、火山の内部構造などが視覚的に楽しめるため、読者はまるで富士山のドキュメンタリーを見ているかのような感覚を味わうことができます。
試し読み
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
美しい円錐形はこうしてつくられた
富士山を真上から見ると、標高が下がるにつれて北西から南東にかけて楕円形をしています。これは、フィリピン海プレートがユーラシアプレートや北米プレートに衝突する方向と一致しています。
富士山の下にある岩盤には、北西から南東にかけて強い力が加わり、その力と直交する方向に割れ目ができています。この割れ目を通じてマグマが上昇し、溶岩を噴出させるのです。
富士山の山腹では、北西から南東にかけて側噴火が繰り返し起こり、その結果、北西から南東に延びる楕円形の山体が形成されました。
頻繁なマグマの噴出により、山頂火口が形成され、北西から南東に広がる大きな裾野を持つ円錐形の姿が生まれました。
富士山噴火史上最大量の溶岩
2300年前に富士山の山頂火口からの噴火は収まり、その後は側火口からの噴火に変わりました。貞観6年(864年)から7年(866年)にかけて、富士山北西の側火山にできた割れ目火口から大量の溶岩が流れ出しました。これが「貞観噴火」です。現在、この溶岩台地の上には深い森が育ち、青木ヶ原樹海と呼ばれる森林地帯となっています。
貞観噴火は、長尾山とその南東に位置する氷穴火口列、そして大室山南西にできた火口列から大量の溶岩を流し、現在の精進湖湖畔手前まで迫りました。この時流れた溶岩の量は、富士山の噴火史上最大と言われています。
軽水風穴
※イメージ
軽水風穴は、精進口登山道と標高1260m付近で交差する軽水林道の北西側に広がる樹林帯の中に位置しています。これは5つの溶岩流が連結したもので、幅約3~10m、高さ約5~10m、全長約500mの大規模な溶岩洞窟です。
洞窟の地面には大小の溶岩の塊が積み重なり、波のようにうねりながら奥へと続いています。洞窟内部を歩くと、溶岩の流れた痕跡を感じることができます。
天井部と床面の溶岩塊はその大きさや形状、色が異なり、高温環境下で溶岩の鉄分が酸化して赤く染まった岩や壁が見られます。また、天井を突き破るように巨岩が垂れ下がる空間も広がっています。銀色に輝く壁面や紫色の溶岩鍾乳石群など、異なる形状の溶岩も観察できるでしょう。
吉田胎内祭
※イメージ
樹木を飲み込んだ溶岩は外側から冷えて固まり、内部は焼け落ちて空洞になります。これが溶岩樹型です。洞内の壁面では、熱い溶岩の滴が流れ続けた跡が、あばら模様や乳房状溶岩突起、溶岩鍾乳石などの形で残っています。
明治25年、富士山信仰の民間宗教団体「富士講・丸藤講」の先達であった星野勘蔵によって、吉田胎内樹型群が発見されました。
星野は樹型の内部を人の体内(胎内)に見立て、当地に吉田胎内神社を開きました。富士講の信者や登拝修行を行う者は、胎内を巡って身を清めてから富士山に向かいます。
毎年4月29日には吉田胎内祭が行われ、焚符を使った祈願や塩を染み込ませた布を背中に押し当てて無病息災を祈る祭事が行われています。