ナチ親衛隊/著者:バスティアン・ハイン

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書籍情報

タイトル

ナチ親衛隊(SS)

発刊 2024年3月25日

ISBN 978-4-12-102795-5

総ページ数 242p

著者

バスティアン・ハイン

ドイツ現代家
ミュンヘン=ベルリン現代史研究所研究員を経て、バイエルン州教育文化省政治教育活動・記憶文化局専任係官、バイエルン州政治教育センター研究員

出版

中央公論新社

もくじ

  • まえがき_ナチ親衛隊とは 芝健介
  • 第1章 闘争組織の目立たぬ発足_1923~29年
    • ヒトラー衝撃隊から親衛隊へ
    • 突撃隊指揮下、平凡な暴力集団
  • 第2章 ナチのなかでの特別意識_1929~33年
    • 新しい全国指導者_ハインリヒ・ヒムラーの登場
    • 総統への忠誠の下に_ナチ党内の敵対勢力排除
    • 人種主義による「北方の新貴族」意識
  • 第3章 「黒色軍団」の人材とイデオロギー
    • 最良の「アーリア人」を求めて_選抜と採用
    • 親衛隊員への教育_スポーツと啓蒙
    • 黒い祭祀_ゲルマンの祭典、アーネンエルベの妄想
  • 第4章 警察組織の併吞_ナチ国家防衛の使命
    • 強制収容所の構築_過剰な暴力による支配
    • ゲスターポの拡張、国家保安本部の設立
    • 政敵弾圧から民族防衛へ_予防拘禁、強制労働
  • 第5章 第弐次世界大戦下の膨張_1939~45年
    • 武装親衛隊_「軍事エリート」の実像
    • ナチ人種妄想の現実化_東部総合計画と独ソ戦
    • ユダヤ人大量殺戮の凶行_ガス殺、絶滅収容所へ
  • 第6章 戦後ドイツ社会と親衛隊_1945年~
    • 終わらない「裁き」_非ナチ化と訴訟の続発
    • 社会復帰の模索と拒絶_逃亡、連邦軍の拒否
    • 変遷する親衛隊イメージ_ハンナ・アーレントを超えて
  • 註記
  • 訳者あとがき
  • 解題+ナチ親衛隊研究の軌跡 芝健介

紹介

 歴史学的な研究と詳細な記録を基にナチス・ドイツの親衛隊(SS)の組織とその役割に焦点を当てた重要な作品です。本書は、SSの創設からその解体に至るまでの全体的な歴史を追いつつ、ヒトラー政権下でのその機能と影響について詳述しています。

 SSがどのようにしてナチス政権の中核的な力となったのかを解き明かしています。バスティアン・ハインは、ハインリヒ・ヒムラーの指導のもと、SSがナチ党の保護隊から秘密警察、絶滅キャンプの運営まで多岐にわたる活動を展開していった過程を詳細に描写しています。また、SSの階層構造、イデオロギー、戦争中の役割といった側面も深く掘り下げており、この組織がどのようにして極端な権力を行使し、ホロコーストの実行にどう関与したかを明らかにしています。

 SSのメンバーたちがどのような背景を持ち、どのような心理的動機でこの組織に参加したのかにも光を当てています。それにより、読者はナチス親衛隊という組織が持つ「普通の人々」の恐怖をより深く理解することができます。

 バスティアン・ハインは、厳密な文献調査と第一次資料の分析を通じて、SSの活動の背後にある思想と計画を詳細に検証しています。この作品の価値は、単なる歴史的事実の羅列にとどまらず、ナチス親衛隊がどのようにしてその恐るべき行動を正当化し、さらには積極的に推進していったのかを解析する点にあります。

 『ナチ親衛隊(SS)』は、ナチズム研究において欠かせない一冊です。この本は、ナチス親衛隊の全貌を包括的に描出しつつ、その歴史的な重要性と現代における教訓を提供します。歴史愛好家や第二次世界大戦に関心がある読者だけでなく、現代社会の道徳的・政治的な課題について考えるすべての人々にとって、必読の書と言えるでしょう。

「親衛隊の父」ヒムラー

 1929年初頭、親衛隊(SS)のトップが交代しました。全国指導者であったエアハルト・ハイデンが党資金の横領と親衛隊の制服をユダヤ人納入業者に発注したことが問題視され、辞任に追い込まれました。後任は28歳のハインリヒ・ヒムラーでした。彼は親衛隊を大きく変革し、その創設者および父として称されるようになります。

 ミュンヘンの厳格なカトリック家庭で生まれたヒムラーは、小市民層出身ではありませんでした。そのため、彼は親ファシズムの環境で育ったわけではなく、世代特有の影響で政治的過激主義に惹かれたのです。

 帝国戦旗国防部隊でエルンスト・レームと知り合い、1923年のミュンヘン一揆直前に彼に続いてナチ党に入党しました。

 ヒムラーは人材の指導に優れていました。隊員を自分に依存させる手段を持っており、配偶者選び、運転スタイル、労働習慣、飲酒習慣など、彼らの生活のほとんどすべてに関与し、服従と忠誠を要求しました。問題を抱えた隊員には「保護観察」の機会を与えながら依存させました。彼はヒトラーと同等の強固なイデオロギーと政治的本能を持ち、虚弱体質であることも敵に過小評価される要因として役立ちました。

 ヒムラーは最終的に第三帝国のナンバー2となり、目立たない外見とヒトラーに対する謙虚な態度で、親衛隊とともに飛躍することができました。

警察権限の強化

ユダヤ人商店が襲撃される様子のイメージ

 ヒムラーの指揮下にあった警察は、1937年12月14日の犯罪撲滅・予防法と1938年1月25日の改訂保護検束法によって、前科三犯の犯罪者や「反社会行為」を理由に、一般人を強制収容所に無期限で拘留する権限を持っていました。

 抗告についても、最終決定を下すのは親衛隊全国指導者兼ドイツ警察長官であるヒムラーでした。不当とする訴えは原則として許されませんでした。

 1937年と1938年には数回にわたる作戦が実施され、職業安定所が告発していた「職業犯罪者」「犯罪常習者」「風俗犯罪者」「売春婦」「同性愛者」「無宿者」「物乞い」「アルコール依存者」「労働忌避者」など数千名が強制収容所に送られています。

 1938年11月9日の「水晶の夜」によるポグロム後、初めて何万人ものユダヤ人が強制収容所に送られました。その後、収容所の人数は5万4000名に増加しましたが、第二次世界大戦中には2万1000名に減少しています。

 強制収容所内では、ユダヤ人と同性愛者が特に過酷な状況に置かれていました。親衛隊員は訓練中に組織的にユダヤ人を虐待しています。強制収容所の1ヶ月当たりの死者数は、数十名から数百名に増加しました。

ナチ人種妄想の現実化

 ヒムラー、ハイドリヒ、ベストに無条件で厳格に振る舞うことを誓った親衛隊員たちは、ポーランド戦線を背景に、前例のないほど容赦なく任務を進めました。

 ポーランドで行われた大虐殺において、彼らは犠牲者を選び出し、6万名を超えるポーランドの知識階級、学術界、経済界、政治指導層を意図的に殺害し続けていました。

 ドイツ軍がソ連に侵攻した後、ポーランド東部、バルト諸国、ベラルーシ、ウクライナの占領地域はヒムラーの親衛隊帝国に編入されました。その地域では、ポーランド戦時と同様に親衛隊行動部隊が戦線のすぐ後ろで進行を続けていたのです。

 同時に250万名のユダヤ人がドイツの支配下に入れられました。1941年の春、独ソ戦の準備が進む中で、親衛隊指導部が隊員たちに具体的に何を命じたのかは明らかではありませんが、侵攻が始まると同時に多くのユダヤ人男性が射殺され、その後は女性や子どもたちも同様の運命に見舞われていました。

自殺と逃亡

 ドイツの敗戦直後、親衛隊員たちは戦勝国と生き残った被害者からの処罰が迫る中、1945年5月にはヒムラーを含む多くの幹部が青酸カリのカプセルで自ら命を絶ちました。

 一方、アラブ諸国やフランシスコ・フランコが支配するスペイン、フアン・ペロンが支配するアルゼンチンといった国々に逃れた親衛隊犯罪者もいます。特にアルゼンチンは少なくとも180名のナチ犯罪者を受け入れました。

 「ラットライン」通称「修道院ライン」は、アルプスと南チロルを超えてイタリアに至る悪名高い逃走経路です。ローマのサンタ・マリア・デッラニマ協会のドイツ信徒団長アロイス・フーダルがナチ犯罪者に隠れ家、偽造書類、海外への渡航手段を提供しました。フーダルはヒトラーの熱烈な支持者です。

 ほかにもさまざまな逃走経路があったとされています。アルゼンチン大使館を経由するのに、アロイス・ブルンナー他多数の協力者がいたようです。

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