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目次
書籍情報
漫画家が見た百年前の西洋
_近藤紘一路『異国膝栗毛』の洋行
発刊 2024年2月15日
ISBN 978-4-480-01792-5
総ページ数 231p
和田博文
東京女子大学特任教授、東京大学名誉教授。
筑摩書房
- プロローグ 戦争・パンデミックの終焉と、笑いの紀行文学
- 第1章 洋服洋食嫌いの、洋行下稽古
- 東京美術学校で藤田嗣治や高村幸太郎と同級だった
- 洋服の着始めでネクタイを結べない
- 靴を磨いて実感した日本の道路事情の悪さ
- 『洋食のおけいこ』VS『食パン亡国論』
- 洋食嫌いの家庭で、パン食の稽古を
- いよいよ名古屋ホテルで「外遊予習」をスタートする
- ハイカラに急変した近藤浩一路
- 洋行前に墓参すると、観音像や如意を餞別として贈られた
- 写真の練習だけは一年前から着手していた
- 第2章 富士屋ホテルで「外遊予習」、東京漫画会の『東海道漫画紀行』
- 赤甕会同人の富士屋ホテルへの送別旅行で、二回目の「外遊予習」
- メニューの「Sawara」は、フランス語?英語?それともドイツ語
- 東京漫画会の東海道五十三次漫画旅行と、江の島への送別旅行
- 「洋行の神様」の案内で、横浜の領事館を巡る
- 洋行前の大騒動_一緒に行けないなら死んでしまうと、小寺健吉が駄々をこねる
- 特別扱いされる洋行_訪問客・送別会・見送り
- 第3章 ツーリズム時代の幕開けと、帝国の郵船の寄港地
- 欧州航路の三島丸で、洋風生活事始め
- 日本から遠く離れて_玄海灘の船酔いとデッキゴルフ
- 海上Ⅰ_初めて海外で味わう「恐怖心」と「好奇心」
- 海上Ⅱ_「自由の世界」「無警察無秩序の状態」
- 香港Ⅰ_イギリス直轄植民地の交通事情
- 台湾Ⅱ_安全な船から眺める夜景の美しさ
- シンガポールⅠ_日露戦争以降に強くなる「一等国民」意識
- シンガポールⅡ_椰子の水、アイスクリーム、デッキ・パッセンジャー
- マラッカ・ペナン・コロンボ_海峡植民地から仏教寺院へ
- インド洋・紅海を経てようやくスエズ運河
- 地中海の航海中も「アン、ダー、トロワ」
- 第4章 パリで藤田嗣治に、一〇年振りに再会する
- マルセイユⅠ_西洋人は「人間以外の別種の獣類」?
- マルセイユⅡ_フランス語は「七九」が通じて得意顔、英語は珍ぷん漢ぷんで逃げ出した
- パリ行きの列車で、漫画の似顔絵を描いて大人気
- パリ生活事始め_案内人への感謝と、「巴里通」への反発
- 地下鉄に乗れた!_パリの街へ恐る恐る
- 藤田嗣治のアトリエに、二つの拳を握りしめて乗り込む
- フランス人女性への拒否感_近藤浩一路の規範的女性像
- 街歩きは危険と隣り合わせ?_一人で歩いてみたくなる
- 実は「洋食嫌ひ」ではなかった_フランス料理を食べてみて
- オペラ座の正面の車道を横断するのは命がけ_半端ではない自動車数
- 第5章 ストラスブールから敗戦で疲弊したドイツへ
- パリからドイツとの国境に近いストラスブールへ
- 有名なアルザス料理店でビーフステーキ?
- 列車で移動するときにトラブルは多発する
- ミュンヘンのホーフブロイハウスでビールを堪能する
- マルク暴落のドイツで、日本人も購入病
- 洋業者は「相場師」となり、ベルリンで「貴族」のような生活をしている
- 自動的に昇降するエレベーター、ぷったりと横着けできないエレベーター
- ドレスデンでオペラのオーケストラを楽しむ
- ベルリンで表現主義の流行を目の当たりにする
- 「税関遁れの汽車」に乗り、耳を澄まし、息を殺して
- 第6章 闘牛のスペイン、ルネサンス美術のイタリア
- 南京虫退治のために、パリの大寺君の部屋は酸っぱくなっていた
- セーヌ河の船の「銭湯」は、混濁した河水を使っている?
- スペイン料理はオリーブオイルが駄目だった
- 闘牛のプロセスと、「酸鼻の極」に目を閉じる
- 牝牛の死体は吊るされてステーキになる
- ヴェネツィアは不愉快な街_「不潔」、南京虫、「お賽銭の強請」
- 豪華な駅弁、フィレンツェでフラ・アンジェリコに大感激
- ローマの領事館で紙幣をつかませると、事務の進捗が敏速になった
- 未来派の酒場で「不思議」「破壊的」「出鱈目」を味わい、敬意を払う
- ジャニコロの丘の麓の街で、「罵詈雑言」を浴びせられる
- 第7章 大英帝国のロンドンからパリ、待ち遠しい日本へ
- ロンドンの一流ホテルのレストランは、ドレスコードが厳しかった
- ロンドンは女中も「新しい女」?_時間外労働はせず、日曜は飲酒
- 美しい「共同便所」で、座禅を組んだり休憩したり
- 鏡としてのロダン_高村幸太郎と藤田嗣治の間に横たわる大きな懸隔
- あとがき
パリ行きの列車で、漫画を描いて大人気
パリ行きの列車に乗る時に、停車場に着くと日本人旅行者たちが「ドギマギ」していました。
時間もないので、アンパン1袋を片手に、二等席に座りました。定員8人のコンパートメントで両隣は外国人です。人の熱で温まった席で、重ね着をしていた私はひたすら瘦せ我慢をしいられました。
「睨み合い」のような沈黙状態に、早くも帰国したくなったが、その車室は「人種撤廃」の雰囲気に満ちているので握手を求められます。
そこで、携帯用の筆記用具である矢立を取り出し、スペイン青年の似顔絵を描きました。カリカチュアは風刺や滑稽が目的だから、誇張して書くことになります。
この似顔絵に対して苦笑いの反応を予想していたら、満面の笑みを浮かべて、お礼の「愛好品」をプレゼントされました。他の乗客たちも次々と似顔絵を所望します….
マルク暴落のドイツで、購買病
第一次世界大戦後にマルクの相場は落ち続けます。為替相場を戦前と比較すると、約22分の1に落ちていたとされているようです。
おのずからドイツでは、外国人による買い占めが起きていました。イタリア・オランダ・スウェーデンの商人が多額の買い占めを行いイギリス人やフランス人もドイツ人の捨て売りで大きな利益を得ていたのです。
生活困難の着物をドイツで仕立てたという紹介もあります。値段が破格なので、日本人は買い物に夢中になっていたのです。その姿を近藤浩一は「購買病」と名付けました。
セーヌ川の銭湯
1923年に起きる関東大震災後の都市計画により、東京市道路は全市総面積の25%になり、パリの街道と肩を並べるまでになりました。それ以前の日本の道路は、11%ほどしかなく、悪道路などと比喩されています。
近藤浩一路が関心したのは道路だけではありません。女性の姿が日本の和装と大きく異なっており、化粧も行動もかけ離れていたのです。「顔や体に絵を画いてゐる」という感想を抱いています。
物価はドイツに比べると高く、何も買う気がなくなります。レストランで誤ってアスパラガスを頼んでしまってら後悔するほどです。
パリやベルリンでも毎日風呂に入る習慣がありました。なんと、パリには「銭湯」があるというのです。女中のマデレーンに案内を頼んでみるも、銭湯には入ったことがなく、所在地を巡査するはめになりました。
銭湯はセーヌ河に浮かぶ2階建ての銭湯です。正面に「番台」に相当する受付があり、料金は1回2フランでした。
30~40の浴槽が用意されており、陶器製ではなく鉄製で外側が錆びており「不潔」に感じられます。湯加減は調節できました。問題は湯が「土色半透明」だったことです。
セーヌ河の混濁した水を使っているに違いないと、憤慨して服を着てすぐに飛び出しました。すると背後から怒声が聞こえます。風呂番の「三助」にまだチップを渡していなかったからです。