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目次
書籍情報
図書室で真珠採り
発刊 2023年12月1日
ISBN 978-4-907208-25-7
総ページ数 279p
松月清郎
立命館大学文学部卒業後、真珠博物館の学芸員として多くの展示企画を運営。2002年より同館館長。
月兎舎
- 第一室 天然真珠の頃
- 真珠の力で疫病退散『アタルヴァ・ヴェーダ』と「御産部類記」
- 涙が真珠に変わるとき「鮫人と下男」と「鮫人の感謝」
- 大珠を扱う真珠商品『列仙伝』
- 中国東北部の真珠採り『満州誌』
- 奈良には古き真珠たち 西川藤吉『真珠』
- 文化史と分析化学の橋渡し 和田浩爾「正倉院年報」
- 平安時代の真珠事情『延喜式』
- 価値を知らぬ者『今昔物語』
- 御神宝の真珠 久米武夫『宝石学』
- 秘匿された真珠の知識『構成新編』
- カフェ1「あこや」と「しらたま」
- 第二室 天然真珠から養殖真珠へ
- 真珠で財政再建 佐藤信淵「鳥羽領経緯記」
- 豪商が集めた真珠 海住春彌『櫛田川と多気町文芸史』
- 信州の宿屋に旅人が珠は 西川藤吉『真珠』
- 海女だけではなかった真珠採り『三重県水産図解』
- 真珠養殖の夜明け前「真珠介ノ説」
- 箕作先生の温かいまなざし 箕作佳吉書簡①
- 売り手市場だった明治の天然真珠 箕作佳吉書簡②
- 相まみえぬ二つの秘宝「軍配扇」『真版 雅・美・巧』
- 日本の博物館の父と真珠研究『田中芳男伝』
- 持つべきは竹馬の友 門野重九郎書簡と『平々凡々九十年』
- カフェ2 干菓子と最中
- 第三室 養殖真珠の発展期
- 御木本幸吉の人脈形成術『穂積歌子日記』
- 寒い国から届いた手紙 岸上鎌吉書簡
- アコヤガイの食味談義 柳楢悦『山陰落栗』
- 横浜ポール老人 加藤寅之助書簡
- 斎藤信吉の紆余曲折『キリストによる労働者』
- 日本の宝石学の先駆者 久米武夫『宝石百年』
- もうひとりの真珠王・高島末五郎
- 八重山を舞台にした古賀辰四郎と岩崎卓爾『風の御主前』
- 中村十作の見た夢『大世積綾舟』
- 動物生態学者からの提言 川村多實二「日本の真珠」
- カフェ3 缶詰のラベル
- 第四室 真珠貝は世界を照らす
- 淡水貝ボタン業の創始者・ベップル
- 宝石学の泰斗・クンツ博士と宝石の女王『The Book of the Pearl』
- 天然真珠を「養殖」したビベス
- パリの真珠王・ローゼンタール『Pearl Hunter』
- 池田嘉吉とブータン博士『La Perle』
- 真珠よりも貝殻 バーヂ『南洋の真珠』
- 水田弥吉の貝工芸と「ワシントンの生家」
- 奏豊吉の見たシカゴ博覧会『泊林・東京』
- 第五室 天然真珠と模造真珠
- ネモ艇長の真珠コレクション ヴェルヌ『海底二万里』
- 同じ真珠は二つとない ビンディング「真珠」
- ヤドリギと真珠 セイヤーズ「真珠の首飾り」
- ピンクと桃色 クリスティ「桃色真珠盗難の謎」
- 新興実業家と「無疵の真珠」 グリン『イット』
- 模造真珠に罪はないのに 前田河広一郎「富豪と真珠」
- 輝きが失われるとき スタインベック『真珠』
- 真珠は誰のもの オデル『黒い真珠』
- 首飾りに託された想い ブリクセン「真珠」
- 耳飾りの少女の真珠 シュヴァリエ『真珠の耳飾りの少女』
- カフェ5 真珠の出てくる漫画
- 第六室 真珠のような人たち
- 名は体を表す モーパッサン「マドモワゼル・ペルル」
- したたかな真珠 菊池寛『真珠夫人』
- 真珠と大正ロマン 佐藤春夫『薔薇と真珠』 加藤まさを「薔薇と真珠」
- 厄介な真珠 菊池寛『不快の白珠』と『珠を争う』
- 名を体を表すとは限らない 宇野千代「真珠」
- 輝きに命をかけて 宮尾登美子「連」
- 真珠の輪廻転生 澁澤龍彦「マドンナの真珠」と『高丘親王航海記』
- あとがき
日本の博物館の父と真珠研究
天保9年(1838年)、信州飯田の医師田中家の三男として、田中芳男が誕生しました。医学を学んで、物産調査のためにフランスやドイツに派遣された人物です。
その知識を活かして、自然の産物を普及させるための産業博物館を設立しています。
田中芳男が真珠の養殖場を訪れたのは明治33年で、既に半円真珠養殖は軌道に乗っていました。田中の伝記をみると明治21年、品川沖に真珠貝の放養を行ってみたとあり、真珠貝の増殖に関心を持っていたようです。他にも産業に関わるものに携わっていた田中は、真珠の養殖に特出して研究することはありませんでした。
田中義男の孫である田中正男は大正12年に御木本真珠養殖場に入り、貝の施術を研究して大珠の形成技術などに関わっています。
日本の宝石学の先駆者
1912年にアメリカの宝石組合が、まちまちだった誕生石を統一化して、真珠が6月の誕生石になりました。
久米武夫は、真珠の販売促進には海外情報網を通じて鉱石資料の収集を継続し、成果としてカタログ誌上に、真珠に限らず宝石に関する記事の掲載を開始します。
そして、久米の孫が、宝石直輸入卸、合成宝石「ホープ宝石」代理店として東京四谷に事業を展開します。
パリの真珠王・ローゼンタール
19世紀から20世紀初頭、パリのカデ通りには真珠を商う人々が400人もいました。そんなパリで名前が挙がるのがレオナール・ローゼンタールとジャック・ビーネンフェルドです。ローゼンタールは様々な仕事を経験してから、パリで真珠商を開始しました。
そのローゼンタールはある時、真円真珠をたまため見かけ、回顧録には感嘆の様子で紹介されています。日本の養殖真珠であることを突き止め、何らかの対策をしなくてはならないと感じました。素晴らしい美しさを持つ養殖真珠が天然真珠より安価で容易に手に入ることが問題だったのです。
後年、ローゼンタールが養殖真珠を扱うようになりました。