※ 毎朝、5分以内で読める書籍の紹介記事を公開します。
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
目次
序章
広大な大修道院の一角にある、モスクワのザゴールスクの教会を模して造られたという聖三位一体聖堂に赴いた私は、総主教を迎えるという奇妙な雰囲気に戸惑いを覚えました。
ろうそくの灯りだけの聖堂内に、司祭による祈祷が行われています。悲しげに流れる聖歌が流れるなか、壁側に疲れ切った人たちが足を投げ出して身を横たえているのです。
右側の聖台にパンが高く積まれたものは、彼らの食料になるものです。ロシアの聖堂に異臭と熱気が漂い、打ちひしがれた女性信者たちの慰謝を渇望する情念があります。
彼らの魂の上と渇きが、「神」によってしか癒されることのない不幸が、私を疲労困憊させます。
書籍情報
ロシア正教の千年
第1刷 2020年8月1日
発行者 渡瀬昌彦
発行 (株)講談社
ISBN-13 978-4065200506
総ページ数 280p
廣岡正久
法学博士。京都産業大学法学部名誉教授。
講談社学術文庫
ロシア愛国主義の源流
1380年9月8日、クリコーヴォ平原の戦いはロシア史に前例をみない戦闘です。40万の放牧民が馬とラクダを駆って三日月の旗を押し立てて、正教会の聖十字架の下に集まったロシア軍と相対峙しました。
反撃の末、逆転してキリスト教ロシアが勝利した戦いです。モスクワ市民と終戦協定を結び、油断させた上で住民を虐殺することで、ロシアを解放しました。
タタール支配からロシアを解放する第一歩です。隷属を強く強いられていたロシア人を奮い立たせ、異民族支配からの解放に目覚めさせたとして、聖セルギーは聖人として称えられています。
1979年に開始されたソヴィエト軍のアフガニスタン侵攻の翌年という特殊な状況下であったとはいえ、クリコーヴォ平原の勝利を祝う600年祭がロシア各地で正教会を中心に盛大に挙行された事実は、聖セルギー等のロシア救国の英雄が、今日にいたるまでにいかに人々の尊敬を集めて精神的支柱になっているかがうかがえます。
ロシア教会と異国の正教会
17世紀、ラテン教会の中心にあったフランスは、正教会をローマの支配下に置く企てを始めていました。プロテスタントの英国とオランダは、利益のために正教会を利用するのには手段を選びません。正教会の高位聖職者を追い払うためにトルコの役人たちを買収しさえしました。
キリスト教の信徒たちが唯一独立の正教国家であるロシアを頼りするのは自然の勢いでした。
しかし、彼ら相互の信頼は、それぞれの教会の慣習の違いや、数々の誤解によって傷つけられ損なわれていたのです。
抑圧されていた正教徒は、ロシアにおける礼拝儀式の訓練を受けることはなく、その余裕もありません。しかし、ロシア人からすればそれは神に対する冒涜以外の何物でもなかったのです。
ロシア人の儀式には、ひとつひとつの高位に象徴的な意味があり、何世紀にもわたる伝統が塗りこめられています。儀式のちょっとした違いにも敏感に反応してしまうのは不思議ではありません。
ソヴィエト体制下
1921年にレーニンが始めた「新経済対策」は20年代末には終わり、変わってスターリンは急激な工業化と農業集団化を進めました。
1930年代の強制的な教会閉鎖が過激となり、ロシア正教会は勢力を失いました。修道院は見つかり次第に破壊され、レニングラードでは、2月18日だけで318人の修道士と修道女が強制収容所に送られたのです。
10年間に3万人から4万人のロシア正教会聖職者が銃殺されるか、収容されたとみられています。追い出された修道士たちも射殺されるか、流刑などで遊ばれるかの運命をたどりました。
とんでもない数の死体を積み上げて、1936年に社会主義の勝利を謳い上げています。
粛清が頭打ちになってくると、見世物裁判が始まり、スパイなどの適当な項目で吊し上げを行うのです。
感想
サイト管理人
単純に、4項目も書くのがしんどくなったので書きませんでした。
ロシアは酷い過去があります。しかも、ほんの100年前ほどです。それからもずるずる暗い時代を過ごしています。
施しの実状から探るに、ロシア正教の歴史をみました。現在もまた、戦争で人を殺しています。
今読むと考え深い書籍になっているのではないでしょうか。
下にリンクを貼っておきますので、本書の購入を検討してみて下さい。
購入リンク
紙
※amazonの商品リンクです。画像をクリックしてください。
電子
※amazonの商品リンクです。画像をクリックしてください。