※読んだ本の一部を紹介します。
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
はじめに
6月23日(沖縄終戦記念日)、8月6日(広島原爆の日)、8月9日(長崎原爆の日)、8月15日(終戦記念日)、毎年、これらの日に黙祷を捧げる人がいます。
戦後77年の歳月の流れ場確実に「記憶」を風化させているのです。NHK放送文化研究所の調査では、国民の4分の1程度しか原爆投下の日を答えられなかったとあります。
核兵器の数は戦後に激減しましたが、核保有国は増えています。核兵器は小型化され「使われる兵器」としての現実味を帯びてきているのです。
各国のリーダーや為政者は、それぞれの国の先人がかつてヒロシマ、ナガサキでどんな言葉を発し、どんな誓いの言葉を残していたのかを再確認してください。どんな言葉を世界に発すべきなのか、熟慮してほしいのです。
目次
書籍情報
タイトル
世界のリーダー185人
ヒロシマ、ナガサキで発した「言葉」
発行者 西元俊典
発行 (有)南々社
ブックデザイン スタジオギブ
本文DTP 大原剛
図版作成 岡本善弘(アルフぉンス)
印刷・製本 (株)シナノ パブリッシング プレス
著者
三山秀明
広島テレビ放送 顧問。
読売新聞に入社し、政治部で活躍しました。米レーガン政権第一、二期の間、ワシントン特派員を務めています。小泉純一郎内閣時代に首相の諮問機関である政府税制調査会委員も担いました。
出版
南々社
バラク・フセイン・オバマ
私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう
2016年5月27日(広島)著名録より
真っ先に紹介しなければならない人はこの方です。
バラク・フセイン・オバマ。第44代米大統領。
核兵器保有国のトップとして、被爆地・ヒロシマの地を訪れたのは彼が最初になります。
被爆者を含めほとんどの広島市民は、オバマ大統領に原爆投下の謝罪を求めているのでない。現職大統領として『謝罪』の難しさは理解している。というよりも『謝る』『謝らない』にこだわって何も変わらないより、プラハ演説をさらに昇華した『核なき世界』を目指すスピーチを、被爆地ヒロシマから世界に発信してほしいのです。
ヒロシマは被爆死した12人の米兵も手厚く弔っているのですよ。
『オバマへの手紙』
2014年15年にオバマへの手紙を手にホワイトハウスを訪れました。日本国内でもあまり知られていない米兵12人をも弔っていることをアメリカに伝え、大統領の被爆地訪問に反対する保守派を和ませれば、訪問しやすいだろうと考えてのことでした。
私たちは歴史を真っ向から見据え、このような苦しみが二度と起きないようにするためにどのような行動をすればいいのかを考える責任を共有しています。いつの日か証人としてヒバクシャの声を聴くことがかなわなくなる日が来ます。けれども1945年8月6日の記憶が薄れることがあってはなりません。
「ヒバクシャ」「ヒロシマ」「ナガサキ」これらは、通常アメリカ人には発音しづらいものです。それに加え、忘却や風化を恐れています。
ミハイル・セルゲエヴィチ・ゴルバチョフ
核兵器保有国の最高首脳が屁ばくちを訪れたのはオバマ米大統領が初めてではありません。ソ連のゴルバチョフ大統領が1991年に長崎を訪れています。
1987年12月8日のワシントでの首脳会談では「中距離核戦力」のグローバルゼロという全廃条約に調印しているのです。戦後の核軍縮史上初めての画期的なものになります。戦後、世界で最も核軍縮が進んだときでした。
かつては世界の核弾頭数が7万発を越えてきましたが、今では1万3千発程度です。
米ソ間の核軍縮交渉を含めた信頼醸成が深まり、1989年12月2日、3日に地中海マルタ島での首脳会議で「東西冷戦の終結」に繋がっていきます。
このような流れで、1991年4月16日からソ連の大統領として初めて日本を訪問しました。
私がここ長崎を訪れなければ、チェルノブイリ原発事故で苦しんだソ連の人たちや日本の被爆者は納得してはくれなかったでしょう
ヒロシマは人類に対して警鐘を鳴らし続ける街として永遠に残るだろう
私もヒバクシャの呼びかけに賛同する。一緒に核のない世界を作りだそう
記者団へコメントや平和公園での演説のゴルバチョフの言葉
2022年2月24日、ゴルバチョフは自ら主宰とする財団として声明を発表し、「ウクライナとの問題解決は交渉によって解決すべきだ」として武力行使を批判しています。
そして2022年8月30日、91歳で死去しました。
西側との関係改善を果たし、冷戦を終結させ、ノーベル平和賞を受賞するなど、西側では「ゴルビー」の名で呼ばれるほど高評価です。ですが、ロシア国内では「ソ連を崩壊に導いた」として評価が低いのです。
中国
中国は、保有核弾頭数を増やし続け、近年、東シナ海や南シナ海で力の行使による現状変更を試みています。
日本が広島、長崎での被爆の悲惨さを訴えるたびに中国は「日本は第二次世界大戦末期の核による被害だけを全面に強調し、それに先立つ朝鮮半島への侵略や、満州事変、日中戦争などの加害の側面を覆い隠そうとしている」と批判します。
鄧小平、華国鋒、胡錦涛、習近平など中国の最高首脳や主要閣僚が日本を訪問しても、広島、長崎を訪問した例はありません。閣僚としては唯一、王蒙文化相が広島の原爆慰霊碑に献花し、資料館も見学していますが、その2年後には解任されています。
王震(中国8大元老の1人、1988年に国家副主席)中日友好協会名誉会長として88年に長崎を訪問しています。
「争取世界 永久和平」(世界から争いをなくし、永久の平和を)
1985年7月16日長崎 王震 著名録より
ウクライナ
広島平和記念公園・資料館の展示はあらゆる人々に日本人が経験した傷みの記憶、すなわち文明のもっとも恐ろしい大惨事を心に刻みます。広島はいつでも人類に生き方に対する態度を見つめなおして、それを正しく認識することを訴えています。平和を守るためにあらゆる努力をして、将来あのような悲劇を阻止することが我々の義務です。ウクライナ人はチェルノブイリ原発事故の恐ろしさを経験してそのことが誰よりも非常によくわかります。核爆発の犠牲者の記憶に敬意を表すると同時に核の脅威のない世界をつくるために我々は友人である日本国民と完全に連帯しています。敬具
2005年7月23日 広島 ヴィクトル・ユーシェンコ大統領 著名録
著名録には日本語で書かれていて、諸外国のリーダーとしては極めて珍しいものです。
湯津市ガタイ。さらに多くの命が失われる前に、ロシアの暴挙を阻止しなければならならい。原爆資料館の悲しい展示を見た。世界がなぜまた、戦争をしているのか全く理解ができない。広島が素晴らしい復興を遂げたことにも大いに感銘を受けた。私たちウクライナも、広島に学んでどのように立ち直るか考えたい
記者団に対してのコメント チーナ・カーロリ
チーナ・カーロリはウクライナの国民的歌手で、ロシアによるウクライナ侵攻後、海外に脱出し世界各国を回って募金活動を続けています。
感想
サイト管理人
戦争を体験しない世代が増えてきて、被爆の風化が悪いことばかりだけではないけれど、たくさんの民間人が殺された、殺した爪痕をメッセージとして残しておく大切さを感じました。
後の広島をみて、復興について考えるウクライナの有名人の行動に、何か影響を与えることができたのではないでしょうか。
ジャーナリストの解説を借りながら、兵器の脅威について考えられるオススメの本です。
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