毛の人類史

※読んだ本の一部を紹介します。

※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。

はじめに

 毛を活用する人々の視点から物語を語ります。

 脱毛症の患者やあご髭を蓄えた聖職者にとっては、毛が発信するメッセージです。

 毛皮商人と羊毛を扱う労働者にとっては、保湿性の高い毛織物の材料です。

 古生物学者にとっては、哺乳類の命を守るうえで毛が果たした役割と捉えます。

 バイオリニストにとっては弓毛です。

 犯罪学者にとっては罪を裏付ける証拠です。

 美容師にとっては制作物です。

 芸術家にとっては作品の材料となります。

書籍情報

タイトル

ヒストリカル・スタディーズ18

毛の人類史

なぜ人には毛が必要なのか

編者 川上純子 (株)LETRAS

発行者 落合美砂

発行 (株)太田出版

ブックデザイン 川添英昭

印刷・製本 中央精版印刷(株)

編集協力 團 奏帆

訳者 藤井美佐子

著者

カート・ステン

20年間イェール大学教授として勤務しました。専門は病理学、皮膚科学

 毛包研究に関する講演や多数の科学論文を発表するなど、長年にわたって毛髪研究に従事しています。

出版

太田出版

哺乳類に毛がある理由

UnsplashSilje Rosenengが撮影した写真

ヒトにとっての毛
 腕に広がる細かい毛は近くを人が通ればその存在を感知し、夏の暑い日に潮に乗ってそよ風が吹いてくれなそれを正確に感じる機能を果たしています。
 毛を剃っていない腕のほうが、効率的にトコジラミを感知できるのです。

 毛は動物の進化にともない発生したものです。

 背骨を持った脊椎動物の誕生とともに、皮膚の構造に変化が現れました。単層の細胞からできていた相と側の上皮層が多層へと変貌と遂げたのです。多層の構造は、進化して毛幹と毛包を密集した細胞が生まれました。

 大部分の哺乳類には口の上のあたりに高感度で長い毛が生えています。マウスにとっては環境の変化を感知するのに役立つ神経に恵まれた「感覚器官」という地位を獲得するほど重要です。

理髪店の登場と発展

Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像

古代ローマの呪術
 体の具合が悪くなる呪医の導きを求める時代がありました。霊魂を呼び出したりして治療に当たったといいます。
 邪気を取り除くべく、ヒルを活用して吸血したり、髭や体毛の除去を行ったのです。
 理容と外科的措置は同じようにとらえられていました。

 1215年の第4回ラテラノ公会議で「瀉血(血を抜くこと)を行う聖職者は教会内での昇進を正式に禁止する」と裁定しました。

 これを受け、外科医を兼ねる利用しがヨーロッパ中に現れ、職人として成功を収めるようになります。

 イングランド王エドワード四世は、1462年に下界を兼ねる理容師の組合(ギルド)の設立を許可しました。

 外科医を兼ねる理容師は、散髪屋腫れ物の切開といった簡単な外科処置に毎日追われていたが、メスを入れることについては理解していません。外科医にとっては理容師の能力を超えた外科的な治療をすることが多く尊敬も理容師より得ていたのです。

 両社の根本的な違いに折り合いがつかず、1745年に組合は「外科医組合」と「理容師組合」に分裂しました。どちらの組織も現在活動中です。

究極の工芸品、かつら

Nur PinarによるPixabayからの画像

ウィッグ
 17世紀と18世紀にペリウィッグと言えば、男性がかぶる、人毛や獣毛で作られた白い巻き毛のかつらだけを指しました。その髪型や長さは多様にあったといいます。
 イギリスでのペリウィッグ流行では、洒落者が極端に広かったり高長だったり、変わったものを身につけていたようです。彼らは「マカロニ」と呼ばれ、上級階級でのスタイルに定着していました。

 人類は最古の時代から社会的、政治的な理由で頭髪に似せたかぶり物を利用してきました。

 ローマの貴族女性のなかには、自分のカツラように人髪を大量に確保するためだけに、金髪の奴隷を家に置いていた者もいたというのです。

 かつらの使用は中世に下火になりますが、1624年、ルイ13世が若禿を隠すため、ウェーブのかかった長い黒髪のかつらをかぶりはじめると勢いを盛り返します。1665年にはフランスで、かつらギルドが結成されているのです。

 フランス革命により王族の頭部が体から切断されるまで、かつらブームは続きました。

帝国の財源となった羊毛

UnsplashSam Carterが撮影した写真

羊毛貿易
 13世紀~14世紀にかけて羊毛貿易が拡大した過程で、羊毛商人は、資本主義、銀行業、金融の基礎を築きます。
 羊毛商人とは、教皇の代理人として協会税の徴収にあたったイタリア人です。現金で支払いができなかった修道院は羊毛で支払うしかありませんでした。そのため、羊毛を現金化しなければならなかたため、羊毛商人となるしかなかったようです。

 1337年~1453年まで、イングランドとフランスは大陸における領有権をめぐり、泥沼の戦いに陥りました。

 エドワード三世は軍事作戦に充てられる資金ならどこからでも獲得したのです。羊毛市場は当時の「金のなる木」だったため最大限に活用し、羊毛に課税して、羊毛を扱う商人銀行家から資金を大量に借り入れました。

 羊毛商人に資金の余裕があったのはたしかです。事前活動家になったり、国や教会に利益を還元する者も少なくありません。なかには、有り余るほどの成功を収め、教会を建立する人もいました。「羊毛教会(ウール・チャーチ)」と名付けられ、コッツウォルズやイースト・アングリアといった羊毛生産の盛んな地域に今なお残されています。

感想

サイト管理人

サイト管理人

 啓毛学とは、衣食住の衣、身体の健康に関わる学問だ!と言われれば、間違ってはいないかもしれません。

 ヨーロッパのカオスの時代は、ヒステリーは女性特有の病気だとしてイケメン医師に愛撫してもらうということが起きたり、道端に排泄物を投げておくのが正解とする行動だったり、上級階級のウィッグがモコミチの塩コショウより高かったり、今なら笑える黒歴史が詰まっています。

 極端な文化をつきつめると、こうも面白く読書できる書籍が誕生するのだなと思いました。

 ひねくれた歴史書の1つ、読んでみてはいかがでしょうか。

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