※読んだ本の一部を紹介します。
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
はじめに
たった1つの「本当の自分」など存在しません。対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」です。
個人という言葉では、もはや対応できなくなっています。複数の顔にあたる単位を「分人」という単語を導入しました。
メディアが発達し、人間関係がますます複雑化する中で、今日ほどコミュニケーション能力が叫ばれている時代もありません。
多くの人が、アイデンティティについて思い悩んでいます。私とは何か?自分はこれからどう生きていくべきなのか?
目次
書籍情報
タイトル
私とは何か
「個人」から「分人」へ
著者
平野啓一郎
小説家。
出版
講談社現代新書
分人とは何か
ポイント
●生きていくには、特定の人と関わっていかなければならない。
●相手に合わせて、自然に分人が形成されていく。
私たちには、生きていく上での足場が必要です。対人関係の中で、現に生じている複数の人格の中には、「本当の自分」は存在していません。
まず分人のイメージをつかみましょう。
1人の人間の中には、複数の分人が存在しています。両親との分人、親友との分人、恋人との分人、職場での分人、あなたという人間は、これらの分人の集合体です。
個人を整数の1だとすると、分人は分数になります。対人関係の数によって分母はさまざまで、相手との関係性によって、分子が変わります。関係の深い相手の分子は大きくなるのです。
生きていく上で、特定の人と持続的に関わっていかなければなりません。誰かと会うたびに、まったく新しい自分になることはできないのです。そうした周りの人と反復的なコミュニケーションを重ねることで、分人が形成されます。
コミュニケーションはシンプルに
ポイント
●コミュニケーションはシンプルな方がよい。
●個人で考えると、言葉の暴力性を考えて話さなくてはならない。
●分人の単位で考えると、コミュニケーションがシンプルになる。
言葉には、相手の人生を狂わす暴力性があります。しかし、暴力性を気にするあまり、一々留保をつけながらしゃべったり、あまり真に受けすぎないで欲しいと言ったりすると、コミュニケーションは無駄に煩瑣になり、何を信じて良いのかわからなくなります。
しかし、コミュニケーションは、極力シンプルな方がよいです。お互いに気を回さずに、思った事を言い合うのが理想になります。
言葉の暴力性は、「個人」という前提で考えているかぎり、なかなか解消できるものではありません。
しかし、分人という単位で考えるなら、相手向けの自分だけに発言が響きます。
さっき、あの人といた時はなるほどと思ったけれど、両親と喋っていたら、やっぱりおかしな考えだという気がしてきた。
他の人との分人を通じて吟味する機会が持てます。関わる相手別に人格を形成できるので、コミュニケーションをシンプルにできるのです。
個人に対してのコミュニケーションはかえって細かな配慮を要求されて、複雑になってしまいます。自分の言葉が相手を傷つけてしまうというような心配をしなければならないのです。
分人主義恋愛観
ポイント
●分人で恋愛観を観ると、相手といるときの自分が好きという自己肯定の状態かどうかである。
●分人で考えれば、自然体のままでお互いに必要な存在がわかる。
●わからなくなったときは、相手といる時の自分が好きかどうかを考えれば、答えがでる。
これまでの恋愛観は、1対1の個人同士が、お互いに恋をし、愛するというもでした。
分人のレベルでみるなら、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態です。他者を経由した自己肯定の状態になります。
別れてしまえば、相手は「好きな自分」を生きられないのです。だから関係を継続させたいと思い込みます。あなたが彼女にとって必要な存在だということに繋がるのです。
つまり、分人の恋愛とは、相手の存在が自分を愛することに繋がること、あなたの存在によって相手が自らを愛せるようになる、ということになります。
お互いにアピールしないでも、お互いにとってかけがえない存在なのです。
分からなくなった時は、「その人と一緒にいるときの自分が好きかどうか?」を考えてみれば、答えが出るでしょう。
文化の多様性をヒントに考える
ポイント
●現代において、文化が混ざり合っていくのは否定できない。
●土地に根付いた文化を守っていくのも、また重要。
文化多元主義は、文化の間の垣根を取り払い、自由に混交していくことをよしとします。
多文化主義は、文化はあくまでそれぞれの土地に根付いたもので、そのまま形で尊重されることが望ましいのです。
ジャズ・ミュージシャンの2人の例をみてみましょう。
マイルス・デイヴィスは、ロックでもクラシックでジャズでも、何度も音楽は音楽と、いいものは認めて混ざり合うのが当然という考えです。
ウィントン・マルサリスは、クラシックのオーケストラでも、ジャズ・バンドでも完璧な演奏をこなせるが、クラシックはクラシック、ジャズはジャズで、それぞれに魅力があるという考えです。
ジャンルの垣根を越えてジャズを更新すべきというマイルスの考えも当然であり、オーセンティックなジャズが少なくなってきたからこそ、純粋な姿を残したいというウィントンの考えも理解できます。
文化が混ざり合うことは、このネットの時代には当然でしょう。しかし、何もかもが混ざり合って、同じものばかりが生み出されるような事態にもなりかねません。ローカリズムに徹底した文化が存続し続けるということもまた、重要なのでしょう。
感想
サイト管理人
「しょうもな」とも思います。一方で、人によって人間関係を分別する方法も負担が減りそうだなと感じました。
「分人」の考え方、どうしても切り離せない関係は人生であると思うので、必要な方は多いのではないでしょうか。
普通に面白かったです。