※読んだ本の一部を紹介します。
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
はじめに
私はよく、人生を山登りになぞらえることがあります。
必死で登っていたときは足元を見ていたのに、下山するときは下界を眺める余裕が生まれます。山腹には貯水池が浮かび、はるかかなたには町がみえます。足元の高山植物に感動し、ひょっこり姿を現す小動物に癒されるのです。
時には振り返り、「あんな険しい道を登ってきたのか」と自分を褒めてやりたくなることもあるでしょう。
登山を成長ととらえるなら、下山とは成熟なのです。この世に無限の成長はありません。成長が止まったときから成熟が始まります。
成熟の時期をどう豊かに生きるかが、私たちに問われていることなのではないでしょうか。
目次
書籍情報
タイトル
人生レシピ
人生百年時代の歩き方
著者
五木寛之
作家。
編集者、ルポライターなどを経て、数々の作品で文学賞を受賞しています。
出版
NHK出版
楽しんで年をとりたい
百年時代の社会
厚生労働省の調査によると介護を必要としている人は、60代が3割、70代と80代2割と、7割以上が60歳以上が占めています。
まわりの人にも、本当に大変な人がいっぱいいるのではないでしょうか。
60代の方が両親の介護をして、そのお子さんなりお孫さんなりが面倒をみる、二世代の介護を抱えることも実際に起きています。これは本当に難しい問題です。
「遊行期」という人生の指針を思い返してみました。自分自身の望みをかなえるために聖地を目指すような行為ではありません。家族や、大切な人に負担をかけない生き方の選択なのだと思います。
杖をついてでも歩いていけるなら、自分の足で歩くのだと。そこで、村人たりから冷たい水をもらったり、いろいろお世話を受けたりするけれども、そこでは、家族の世話にはなりません。
大事なことは肉声で人々に語りかけた
孔子のことば
孔子の『論語』という書物が非常に有名です。
「子、曰く」という書き出しで始まっています。お弟子さんたちが、孔子先生のおしゃったことを書いてつくり上げたのが『論語』です。
ギリシャの哲学者ソクラテスも孔子も、弟子の記録によって、思想が伝えられています。
こう考えてみると、大事なことは肉声で人々に語り掛けていたのです。本来は、人の声から耳へ伝わっていくのが、表現の土台になります。それを広く人々に伝える、あるいは耕世に残すという意味で、記録するために書物というものができました。
自分が物書きの仕事をしているからよくわかるのですが、字を書いているときというのは1人の仕事です。孤独な作業になります。自分との対話の中で原稿を仕上げるのです。
ところが、問答とか、話というのは、相手があってのことだと思います。
人間の一生に物差しは必要ない
人間関係においても、自然環境においても、そもそも世の中は矛盾にあふれたものかもしれません。思いもよらぬ苦しみが降りかかってくることさえあります。
未来は予想もつかない方向に進んでいくものです。鼻をかんだティッシュがゴミ箱に入らないことは多々あるでしょう。
自分の夢は実現したか、という問いに「できた」と答えられる人は、ほとんどいないはずです。誰もが「人生これでいいのか」と想うのだと思います。
けれど、どんな人生であったとしても、それぞれに意味があるのです。なぜなら、今日まで生きてきた、その事実以外のなにものでもないのですから。
その価値を認めて、自分を評価してあげなければなりません。
世の去り方を決める
よほど信心深い人を除き、死後に光のあふれる世界に行けると思っているひとはいないです。確固たる生死観を持つ必要もないでしょう。
自分で、世の去り方、覚悟を決めなければいけないから大変なのです。
幸い、身近な方が亡くなられても寂しく感じなくなりました。「そうか、先に逝ったのか」と。友達が引っ越した感じでとらえられるのです。
人が死というものに対して覚悟が定まりとも限りません。有名なお坊さんでも「死にとうない」といった人がいます。
感想
サイト管理人
人の生死はわからないものです。年老いて、介護職以外の賃金が発生しない若者に介助してもらう罪深さを感じる人も多いでしょう。
ましてや、雇入れが増えている年配の運送スタッフが、学生を撥ねて死亡させてしまうのは重たすぎます。
難しい問題と、生き方を、人生の先輩から学んでみてはいかがでしょうか。
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